まるぽて

みかこのなんでも書くブログ

都会にて

みかこです。

 

三軒茶屋を歩きました。

 

札幌にはこういう場所がないような、と、茶沢通りを歩きながら思いました。

もうちょっと道や店に間隔があるところならあるんだけど。

 

大阪も埼玉も東京も、こういうぎゅうぎゅう感があって、それに慣れて育ったので、札幌に初めてきた時は、「寂しいところだなあ」と思いました。あっさりしているというか、バラバラというか。

札幌でたまにタクシーに乗って、運転手さんと話しても、感覚がズレている。

「札幌は都会でいいでしょ」と言われてもピンとこなくて、毎日イライラしていたころは「どこが?」って返したりして(まあ怖い人だったわね)。

その後、冬の大雪を経験して、この雪が東京みたいなぎゅうぎゅうなところに降ったら、雪のやり場がなくて、生活にならんな、と思いました。そうして札幌の道の広さや建物の形は必要なものなんだなと理解しました。

 

医薬品関係の仕事をしていたころは、「私のしている仕事は本当にやりたかったことと違うけど、もうこれしかできなさそう」というアタマで、お金がいくらもらえるのかと、元々の「そもそもの本質から逸れることが受け入れられない」という性質も相まって、人にも自分にも厳しく、常に高いクオリティやスピードを求めて、常に「何とかしてもっと上に行こう」という上昇志向と転職願望があり、ストレスでいっぱいで、それを服やアクセサリーや化粧品、あるいはジムやアロマセラピーや美味しいレストランめぐりなんかで解消していました。

 

よく考えてみれば、そのころも、今のようにやりたいことをやれる力や環境があったはずなんだけれど、勝手に「そうできない」と思い込んでいました。

当然ながら今より若いし、その分、今より有利だったんじゃない?とも思うくらいですが、「どう咲きゃいいのさこの私」「十五、十六、十七と 私の人生暗かった」みたいな感じで、ずっとこれから先も暗いんだろうなぁと勝手に思い込んでいました。

 

三軒茶屋の不動産屋さんには、「これだけ出したら札幌ではずいぶん広いおうちに住める」というような価格の、狭いワンルームの掲示が並んでいました。

たまたま聞こえてきた、不動産屋さんの電話の会話では、四畳半に3人で住んでいる人がいて、その人と解約のことでもめている。

そういう状況になってしまってる人というのは、何かしらベースに抱えている「問題」があるのだろうし、札幌にもそういう人もいるかもしれないが、東京だとよりいっそうそのような状況になりやすいのかもしれない、とも思いました。

 

東京で生きづらさを感じている人は、ある程度一人で生きる力がついたら、地方に行ってみたらどうかなと思います。

最初はなかなか輪に入れてもらえないもんだけれども、そこを何とかクリアしたら、肩の力を抜いて、自分を大切にしながら生きられる環境があるかもしれません。

 

地方にいて、力が有り余っていて、毎日が何だかつまらない気がしている人は、東京に来てみたら、色々楽しいことがあるんじゃないかと思います。

 

どちらも味わってみると、想像とはあれこれ違い、どちらの良さもわかるようになると思います。