長い目で見ると優しさと厳しさは逆に見えてくるかもしれない
みかこです。
「やさしい」と「厳しい」と、どっちも言われます。
こうしたほうがいいよ、というアドバイスを、最近はあまりしなくなりました。
(昔は正論で追い詰めてばかりでしたが・・・)
コーチングやカウンセリングは、クライエントが自らの力で課題をクリアすることに対する支援なので、倫理に悖ることではない限り、その人の考え方、やり方で解決・対処してもらいたい。
即効性はないことも多いでしょうが、「自分で考え、自分でやりとげたのだ」という感覚を積み重ねることこそが大切だと思うので、わたしはできるだけ誘導したくないのです。
利用者さんの支援の方法で、上司とは、やり方がだいぶ違います。
どちらも、相手を思ってのことです。
きつい表現で伝えたら、「嫌な人だ」と思われて、聞き耳を持たなくなってしまうかもしれません。
でも、そのほうが「早く気づける」ということがあります。
「自分で気がつくまで待つ」というのは、「否定しない」というところが優しそうに見えて、かなり厳しいこととも言えます。
他人から言われたことは、すぐに忘れたり、「とりあえず聞き流してやりすごせばいいこと」にされることもあります。
自分で考えたことは忘れにくく、自分で考えたので、自分ごととして捉え、行動しやすくなります。
どちらが正解ということはありませんが、わたしは「自分でできるだけ考えてやってみて、どうしても必要な時には支援を求め、感謝を伝えられるようになる」のがベターだと考えています。
誰もがいつかは「いなくなる」のであって、いつまでも「教えてあげる」ことはできない。
教えられるうちに、持っていることの全てを伝えておくのもよし、自分で解決する力をつけさせるもよし、何れにしても、相手のことを真剣に考えてしていることであれば、それは自ずと伝わるのではないかと思います。
伝わらないのには、受け手の事情もあります。
受け止める準備ができていないか、自分のやり方でやりたい気持ちが強く、いまは受け止めるつもりがないのかもしれません。
それはそれで、その人の人生なのだから、究極的には、それでもいいのではないでしょうか。
そのように思えないときは、ほんとうには、受け手本人を見ているのではなく、自分や大切な誰かをその人に重ねているのかもしれません。