まるぽて

みかこのなんでも書くブログ

音楽家のプロフィールには経歴より演奏について表現することばがほしい

みかこです。

 

先週から昨日にかけて、3つ演奏会に行きました。

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ソリストへの賛辞や感想はみんなが同様のことを投げてると思うので、ちょっとそこじゃない感想を置いておこうかと。

 

知り合いの方のヴァイオリンリサイタルにも足を運んで、なんだかじーんと深く心に残ったのはピアノの植田克己氏の懐の深さみたいなものでした。

「共演」というのを感じました。


何かの楽器にピアノを合わせるというのは、楽器が平均律だったりする物理的に響きが合わない事情のほかに、技術的・人格的事情というか「競演」だったり「お互い知らん顔してる二人」だったりときどき「邪魔」だったりするんですけど、変な話ですけど、そういうことを客としてのわたしは一切感じなかったというのに驚いていました。(弾いてた人からするとどうだったのかはわからないけど)


クラシック音楽の宣伝資材には奏者の経歴がこれでもかとたくさん書いてあるものですが、わたし自身は本来そういうのどうでもよくて、自分の好き嫌いだけでいいと思ってるので、いろいろ書いてあっても少しも面白くないというか癇に障る演奏する人もいるし、とりあえず他人の評価はぜんぶ脇に置いてなんでも聴いています。

 

植田さんの演奏は、なんていうかふかふかの土の上で子どもを遊ばせてくれてるような、広い大地とか大気みたいなピアノを聴いた感じがして、この人とまた別のソリストとでまた聴いてみたいなぁと思いました。

そういう立場の人じゃないのかもしれませんけど、ソリストの魅力を最大限に引き出せる余裕を持ってるといいますか、いろんな組み合わせを聴いてきましたが、生でしっかり聴いた機会のなかでは初めてこういう感想を持ちました。

 

わたしは、何かの規格でどんなグレードだとしても、それに直面した自分が価値を感じなかったらそれは要らないものだと思っているので、「だってこんな経歴の人なんだから出来て当たり前、素晴らしくて当たり前じゃーん」という人はわたしといくら話しても平行線のままになるのでそういうコメントは要らないです。

 


そういえば、斜め前の席のおじさんが早々に気持ち良さそうに眠ってしまっていて、3つめの音が鳴っていたのも面白かったです。

聴いていて心地のよい演奏会でした。

こういうふつうの感想を持てるのも、かなりレアというか贅沢なことかもと思います。

聴き手が必死で価値を探す必要がないというか、そういう安心感がもっとクラシック音楽にあってもいいのに、と思いました。

 

植田氏は北海道出身で、ソリストとして北大オケやクラ管とも共演しているみたいですが、もらっていた情報からは何も伝わってこなかったので失礼していました。

 

経歴云々じゃなく、こういう感じの演奏する人なんだよ、と言われたら一緒に弾きにor聴きに行くかもしれないので、少なくともわたしを誘うときはそういう表現にしてほしいなぁ、と思っています。