まるぽて

みかこのなんでも書くブログ

「先生」という人についての疑問

みかこです。

 

音楽が好きです。

 

少し前に、音楽をやっていない人に「音楽のこういうことがわからない」って質問されて、都度、わかる範囲で回答していたら、何かもやもやが晴れたように楽しくなってくれて、「教えてくれてありがとう!」と言われました。

それから、「音楽の授業がつまんなかった」「なんで学校でそういうこと教えてくれないんだろう」って。

 

学校では、ほんとうは面白いことをぜんぜん面白くなく伝えたり、どうでもいいことで「おまえはダメだ」と言われたり、すごくもったいないことをしてることがある気がします。

 

音楽をやっている人で、先生に「おまえは才能がないから諦めろ」って言われ続けて、休み時間にみんなが遊んでる間も一人でスケール(音階)をさらったりいろんな努力をして好きな音楽を続けて、プロになったという人の話をきいて、続けられてよかったね、続けてくれてありがとう、って思ったけど、人に向かって何てこと言うんだ、とも思いました。

「諦めろ」っていうのは、そのあとその人が、伸びるとか、変わるって信じてないってことなのかな、と。

どうしてそんな人が、人を「育てる」のが仕事の「先生」をやってるのか、わたしにはわからなかったです。

 

その人の人生のほとんどを知らない、その人になんの責任も持ってない人が、「おまえはちっともがんばってない」とか言ってくるのの意味もわからないし、みんなさんざん努力してきたのに、どこか「自信のない自分」をひきずっている人が多いのが、とてももったいないと思っています。

 

英語や数学が苦手と言う人でも、同じようなことがあって、ほんとうは、英語も数学もたぶん好きになれるのに、誰かに「ダメ」って言われたことや、怖い思いをしたのに身体が反応するように(トラウマ反応)なって、その「嫌な感じ」を避けてるうちに、できなくなったりするんじゃないかな。

 

でもそういういやな人は、どうしてもどこに行ってもいる。

「いやな人はいなくならない」とはあんまり言いたくないけど、「いやな人を撲滅する」よりは「いやな人に会っても大丈夫」になるほうがカンタンだから、大丈夫な人が増えていったらいいなぁって思っています。

 

いやなことを言うのは弱くて自分に自信がないからです。

相手のことを低くしないと自分が高くならないと思っているのでそうしてしまいます。

たとえば、教える立場なのに、教えるのがヘタで、相手の才能を伸ばすことができないから、相手の素質のせいにしたくなったりします。

そういう中で言ってくることは、誰のためにもならないので放っておけば良い。

 

余裕ができて、そのいやな人にも、もしかしたら、いいところがあるのを、さがせるようになったら、いいなぁって思いますが、それはじゅうぶん自分が癒えてからでいいです。