どうして英語ができるようになりたいの?
みかこです。
書きおさめでした。
きょうは小筆で行書をやりました。
小筆キライだったのが、筆をかえてから嘘のようです。
今月はたくさん行けたので、先生も喜んでいました。行書もだんだんわかってきてうれしい。
書道をやっている理由のひとつに、
「わたしは書をどこまでやれるようになるのか確かめたい」
というのがあります。
何かを続けて上達するのには、そういう気持ちでやるのがちょうどいいような気がしてます。
今に始まったことではないのですが。
「英語ができるようになりたい(というより、英語ができないことを気にしている)」人が多すぎて、わたしは、歳を重ねるほど、ますます、その意味がわからなくなってきてます。
大学受験する予定もないし、仕事で使ってもいない。
「英語ができるようになったら便利だから」というんだけど、「これができたら便利」なことなんて、他にもいくらでもあるじゃないですか。
料理とか、車の運転とか、プログラミングとか、投資とか、水泳とか、スケートとか、マラソンとか、なんかいろいろ。
そういうのは割と放置しているのに、なぜか英語だけは、ほぼ使う予定のない人まで、「できるようになりたい」と言う。
「英語、使うんですか?」って訊くと、なんか、虚をつかれたような顔をされたり、答えがなかなか返ってこなかったりする。
外資系の会社で働いていたとき、英語で電話かかってくるのに出たり、英語でやる会議に出たり、英語のメールを読んだりしていました。
駐在してるアメリカ人と会食をするときの会話は、その人以外全員日本人でも、みんな英語で話さないといけないし、ちょっとしたこと言えないと少しも輪に入れない、というので、その業界・会社でよく使う単語と、日常会話に必要なことを中心に勉強してました。
転職活動の時や、仕事上で提出を求められるたび、英文履歴書を書いたりしました。
治験の仕事のときは、有害事象などについて英語で報告書書かないといけないときもあって、時間に追われながら英訳してました。
いつも必要だったり、差し迫ったらやりますよね。
ふだんから聴いてて、顔の表情やジェスチャーを加えれば、なんだかんだでコミュニケーションはできます。
英語ができるようになりたいと言いながら、いつまでもできるようにならない人は、英語を使って何をしたいのかが全然明確じゃないのかもしれない。
「英語ができない」って思ってるののひとつは、自分の言いたいことが言えないからです。
誰かと初めて知り合ったとき、どんな会話をしますか?
相手と仲良くなろうと思ったら、どんな会話をしますか?
それを英語で言えますか?
今、世間で話題になっていることについて、自分の意見を日本語でもいいから言えますか?
そもそも日本語で、誰かとちゃんとコミュニケーションできてますか?
英語ができないって言ってるけど、それ以前に、コミュニケーションそのものができてない人もいるでしょう。
いろんなことに対する自分の意見がなかったりしませんか。
自分のことをいったん日本語で整理して、それを英語に訳して、口を慣らしておけば、「話す」のにはだいぶ自信がつくと思います。
「聴く」方は、それこそいくらでも教材があるし、「読む」にしても自分の仕事の分野でよく出てくる単語は、専門書などを読めばわかるし、論文の英語は型が決まっているし、だいたい実験で出てくるものって似たりよったりだし、そのあたりをやっておけば「読む」のもだいぶクリアできるし、「書く」のはPCソフトなどのスペルチェック機能が助けてくれるし、などなど、本当に使う場面を考えると、やりようっていくらでもあると思うのです。
特に使う予定がない場合も、英語を使って何がしたいのか、それが明確になるだけで、ずいぶん熱の入り方が変わりますし、力を入れるべきスキルや勉強する範囲が決まっている方が効率的に勉強できますし、結果が出やすいと思います。
同時通訳者の関谷英里子さんの本が面白くて、読みやすくて好きで、いくつか読んでます。
本を読んでみた限りでは、彼女は、ただただ、英語が大好きというか、英語マニアというか、そういう感じなんじゃないかなぁ。こんまりさんの「片付け」への情熱、テツの方々の鉄道への愛などに似ている気がします。
(英語がニガテな人にはまず、関谷さんの「えいごのつぼ」を読んで欲しいです。
目からウロコなことがいろいろ書いてあるかも。)
そういう「大好き!」な状態になるか、目的を明確にするか、どっちでも好きな方で、一日も早くできるようになったらいいんじゃないかなーと思います。
きょうはコーチングを交えつつ、セルフスタディのお手伝いをしました。
将来こうなりたいっていうのと、そうなるために必要なこと、その中で今できそうなこと、っていうのを自分で考えてどんどん出していってもらって、それで本人が納得してからやると、同じような作業・学習でも、取り組み方が断然変わりました。
漫然と、周りがやってるから、みたいな感じでやってるよりずっといいです。