障害をどうとらえるのか
みかこです。
障害者のきょうだいがいる人とお話ししたときのこと。
いつも、「自分って必要なのかな?」とか、「迷惑かけないようにしなきゃ」とか考えて、学校とか友達とか塾とかでいろんなことあっても何も言えなかったよね、と、初めて会ったのに、そんな気持ちをわかりあうことができて、すごいなぁ、と思いました。
障害者のきょうだいがいる中で育った人は、「愛着」に課題を残していることが多いのではないでしょうか。
どうにも人との距離がうまく取れない、人を頼れない、なかなか親しくなれない、少し悪いところを見ただけで嫌ってしまう、などなど。
親との関係の中で習得できなかったことが、後になって人間関係の問題として出てくる。
こういう人が、パートナーを見つけられるって、それだけで「奇跡」のようにも思うんだけれど、わたしも、その人も、自分に合ったパートナーに恵まれて、たくさん愛してもらっています。
もしかしたら夢だったのかもしれないけど、わたしの一番古い記憶。
祖父(母の父親)の漕いでいる自転車の後ろの荷台に座って、
祖父につかまりながら、祖父の話を聞いている
「みかちゃんな、
これから、おかあさん大変やさかい、
おかあさん助けたってな」
なんだか、大変なことが起きたらしい。
病院で、何かよくないことがあったらしい。
3歳のわたしは、大人たちのただならぬ空気を感じていました。
祖父は酒を飲むと度々
「市民病院の医者が、ええ加減なこと言うて、あの子が苦労せなあかんようになったんや」
「銃でも買うて、あいつを殺してわしも死のうか思うとんねん」
などと言うことがありました。
誤診をした産婦人科の医師を殺したかったのか、障害児として生まれた妹を殺したかったのか、わかりませんが。
アガサ・クリスティの作品に「鏡は横にひび割れて」というのがあります。
「クリスタル殺人事件」というタイトルの映画にもなっています。
ある女優の産んだ子は、先天性風しん症候群だった。
そのことでずっと思い悩んでいた女優は、ある日、偶然に、自分に風しんをうつした相手(自分のファン)を知ってしまう。
女優はそのファンを殺し、自分も命を断つ。
そんな内容の話です。
祖父の「恨み」の解決というのは、そんな感じだったんだろうか。
妹は生まれない方がよかったっていうことなんだろうか。
妹を妊娠しているあいだ、風疹にかかったことがわかった母は、せっかく授かった子を中絶しなければならないのかと、とても落ち込んでいたそうです。
それが、「産んでも大丈夫(障害者になることはない)」と担当の医師に言われて、とても元気になりました。
その母の様子を見て、父も安心して、嬉しく思ったそうでした。
しかし、産んでみると、いろいろな障害を持って生まれたわけです。
医師の言葉を信じて喜んでいたのが、「なんということをしてくれたんだ」という恨みに変わってしまった。
父はその頃、会社の上司と折り合いが悪くなり、ひどく酒を飲むようになっていて、酒のせいでそんな子どもが生まれたのではないかとか、自分に問題があったのではないかとか、そういうことで一人悩み、自殺を考えたこともあったそうです。
・・・そう考えるしかなかったんだろうか。
本当にそういう捉え方しかなかったんだろうか。
いろんな難しさを抱えているわたしを、そのまま愛してくれる人がいる。
だから、わたしは、両親や親戚たちのようには考えない。
障害=不幸と考えるように染まってしまっている人に、そうじゃなくてもいいと伝えたい。
そして、問題に対する具体的な手立てを、一緒に考えられる人でありたいです。