自分とたたかわなくていい
みかこです。
平和が好きです。
先日、目が腫れている人を見かけました。
『レボフロキサシン点眼したらすぐ治りそうな目だなぁ・・・』と思いました。
昔、抗菌薬のメーカーで営業をしていました。
医師から、「耐性菌が気になるよね〜」としばしば言われていました。
抗菌薬(殺菌効果のあるもの)をしばらく使っていると、抗菌薬に耐性を持った菌というのが、(けっこうすぐに)登場します。
既存の薬を使っても効かない菌が流行すると、自分の免疫機能だけではどうにもうまくやりくりできなくて、死んでしまう人が出てくるかもしれない。
厚生労働省健康局結核感染症課の抗微生物薬適正使用の手引きには、抗菌薬を使うかどうかについて、細かく「推奨する・しない」など書かれていますが、基本的に
「要らないものには抗菌薬使わないようにしようね」
という方針になっています。
(でも、抗菌薬がないと不安という患者さんが多いので、薬はだいぶ出てますけど)
そういう勉強をしてきたからか
「退いてもらえればいい、殺す必要はないのかも」
という考え方になり、ふだんの掃除などもあんまり殺菌・除菌みたいなものは使わないようになりました。
人づきあいもそれに近いスタンスがいいかも、と、わたしは考えています。
自分とちがう考えの人と一緒にいるというのは、それなりにストレスになるので、攻撃したくなる人もいるかもしれません。
「自分の好みではない」「自分の不満が解消できない」というだけのことなのだけど、正しいとか正しくないとか、よその国と比べてみたりとか、本当は持ち出さなくてもいい概念まで持ち出して、自分と意見のちがう人に、自分と同じ考えになってもらおうとしたり、いなくなってもらおうとする。
でもそういうのはキリがない。
大抵の人は、自分の中に矛盾を抱えながらもそれを無視して生きているので、誰かを攻撃すれば、相手から「じゃああなたのそれは?」と反撃されることもあるでしょう。
結局は自分の首が締まるんじゃないのかな。
その裏返しみたいに、「誰にも文句を言われない」ために「自分を矯める」ことをしている人もいますが、これもキリがない。
「無理しすぎて体壊して」と言っているのはだいたい「心の調子を崩した」ケースのように想像しています。心が健康な人はそもそも「無理」はしないです。
なので、「ちがう」人がいても、石を投げたり、自分を曲げたりしなくてもいい。
ちょっと「離れる」か、「ちがう考え方」と思うだけでいいのではないかな。
放っておいてもそのうちどっちかが「変わる」こともあるし。
「自分の敵は自分だ」「自分との戦い」と言うのがなんかカッコいいみたいなかんじがありますが、わたしはそれも、「?」と思っています。
ふだんから自分で自分をいじめすぎてるから、人からちょっといじめられただけでいっぱいいっぱいになるのかも。
自分をいじめてるのを見てたら、「こいつはいじめてもいいやつなんだ」と他人からも思われるようになっても不思議じゃないかも。
何らかの事情で、人から攻撃されても「そういうものなんだ」と受け入れてしまうようになっている人は、より意識して、自分を認めたり、守ったり、場合によっては逃げたりしたらいいんじゃないでしょうか。
もしかすると、世の中のほとんどは「自分とたたかいたい」人で、わたしのようなのは少数派なのかもしれないです。
そうなってくると、「ヒト」という集団の統計でみたときに「そっちの方が人生うまくいく」という結果になるのかもしれない。
だけど、わたしはそうじゃないタイプの人に向けて「たたかうのが合わないんだったら、たたかわなくていい」と言いたいです。
「自分とたたかう」のが好きな人は、それ以外の方法でスキルアップしたことがないから、それ以外のやり方を知らないのかもしれないです。経験を積めば積むほど、同じやり方での解決のスピードは増すかもしれないけど、今までのやり方にとらわれて、もっと楽な方法を思いつかなくなっているということもある。
自分のことを責めたり、ダメだと思ったりしなくても、何かが上手くなったり、できるようになったりすることって、ふつうに、あります。
寒い季節になって、乾燥してくるのに肌の調節が追いつかないと、目尻のあたりに笑いジワの細かいのができます。
鏡にうつった自分のそれを見て思うのは、
「鳥の足あとみたいでかわいいな」。
誰かの老いているようすを感じても、かえって愛おしく感じたり、よく今まで生きてきてくれたなぁ、と思ったりします。
そんなわけで、あんまり、Anti-Aging とかも考えていません。
ちなみに、抗菌薬は、 Antibiotics といいます。