道具を通して考えたこと。人にも自分にも優しくなるための心がけ。
みかこです。
記事の企画が通りませんでした・・・。
が、書きたいことは自分のブログで書けばいいので、ボツになったことはそのうちどこかで書きます。
きょうは「道具」を通して考えたことについて。
書峰社で書道を習っています。きょうは小筆の練習をしました。
小筆は苦手。ちまちま書くのが好きじゃないんです。あと、なんか知らんが書きにくい。
でもせっかく習えるんだから小筆もやるか・・・。
と、しぶしぶ小筆をやりながら、ふと、先生の筆を見たんですね。
わたしのは軸が楕円柱なんだけど、先生のは正円柱ぽい。
わたしのはどんなに揃えても毛がまとまらない。先生のは毛が揃っている。
『もしかしたらわたしの筆はイケてないんじゃないのか?』
『2年目の記念にもらった筆だし、言いづらい・・・』
『でもわたしはまだヘタだし、弘法筆を択ばずとはいかないし』
などとグルグル考えてから、思い切って先生にきいてみると、わたしの筆はやはりイケてない筆でした。
使いづらいな、と思った時にすぐ言えばよかったんだな。
さて。
わたしが今メインで使っているコントラバスの弓は、12歳の時に「弦楽器の山本」で買ったものです。
「楽器はともかく、弓はいい方がいいよ。弾きづらいとしんどいから」
という先生のアドバイスがあり、高い弓を選びました。
その弓を買っても予算におさまるように、と出してこられた安い楽器は、オリエンテの一番安いモデルだったと思います。
それが、見た目から何から、どうにも気に入らない。
ガンバシェイプなのも、ネックが太いのも、気に入らない。
(小学校のオーケストラで使っていたお気に入りの楽器は、薄い黄色っぽい色のヴァイオリンシェイプの楽器だったというのもあった。ほんのちょっとの違いなんだけど。)
でも当時「場面緘黙」だったわたしは、知らない大人(もしかしたら当時、山本にいた高崎さんだったんじゃないかと思う)に対して、自分が思っていることを何も言えませんでした。
結果、高い弓と、弓より安い楽器を買うことになりました。
気に入らない楽器で弾いているのはしんどくて、練習も楽しくない。
「音大に入りたい」と思っていた間は、なんとか弾いていましたが、それをあきらめたあとは、コントラバスを全然弾かなくなりました。
あの時ちゃんと自分の気持ちを伝えて、予算オーバーでも自分の気に入る楽器を買ってもらえていたら、楽器を通して、もうちょっと気持ちを明るく持てる時間があったかもしれない。親にももっと感謝していたかもしれない。
少なくとも「伝えたけど反対された」のだったら、気持ちは「後悔」とは違うようになっただろうな、と思います。
そんなことを思い出しつつ、今思うことは。
小学校のオーケストラでトップになったのは、もしかしたら、わたしが上手だったんじゃなくて、たまたま使っていた楽器がよかっただけなんじゃないか、ということです。
あるいは、他の子が使っていた楽器が、あんまりよくなかったんじゃないか。
それなのに、わたしはみんなに厳しくて、「ちゃんと練習して!」ってよく怒っていたなぁ。ふだん男まさりの気の強い女の子まで泣かせて、クラブをやめたい気持ちにさせてしまったこともありました。残った後輩たちにも、「怒ると目が三角になってこわい」と言われていました。
・・・ごめんね。
我慢しなくてもいいときは、我慢しないで、気持ちよく使えるものを選ぶ。
人はそれぞれ、全然ちがう条件で生きてきて、全然ちがう能力を持っているのだから、自分よりうまくできないあの人は、自分よりずっと不利なことがあるのかもしれない、という思いやりをもつ。
そんな心がけが、自分も周りも幸せにするんじゃないかと思います。
ずいぶん長くWindowsを使っていたのですが、自分のような者がMacを使うだなんておこがましい、と思っていました。(なぜだかわからないのだけど)
ある日、何気なくビックカメラでMacを触ってみたら、起動の速さも文字の入力も、ウインドウズとポメラぐらいの違いがあって、愕然としました。
その後、なけなしの貯金をはたいてMacBook Proを買いました。
今、とても快適に、仕事その他を楽しんでいます。