まるぽて

みかこのなんでも書くブログ

おしゃれするのしないの

みかこです。

 

いろんな服着ます。

 

真似するのはまったく勧めませんけど、たまに、近所の買い物や居酒屋くらいなら、すっぴんでてきとうなまとめ髪にジャージ姿でいきます。

東京にいた頃はそんなことしなかったんですが、札幌に来ていろんな価値観がスクラップアンドビルドを経て…。

面倒とかそういうんではなくて、そんないつもいつもちゃんとしなくてもよくない?

メイクしなきゃキレイにしなきゃという化粧品メーカーやアパレルの煽りには乗らないぞ、というのを表現しつつ自分でも受け入れていこう、と。

隙がない感じのわたしを好いてくれる人ってぜんぜんいなかったもんな、という反省もある。

たいてい孤軍奮闘してしまう。

それで何とかなってきてしまった。

でもこれから先もずっとそうじゃなくてもいいような気がしてトライしています。

 

引っ越しでもっていろんなアクセサリーを整理してたら、病院で働く仕事ではつけられなかったあれこれがあるのを思い出し、そういえばつけていいんだった、という感じで、再び使うようになったり、ネイルも香りもダメだったので、それをまたちょっとずつやり出したりしてはいます。

 

red lineのブレスレットは、付けっ放しにしてたら入浴で適度に洗浄されて、ダイヤや金の輝きが蘇りました。

何でも使わないと霞んでくるんだな。

東京を去る時に、中国人スタッフが中国語で書いてくれた餞の言葉、思い出のものとしてとっておいてるんだけど、当時はわかったのに、もうがんばらないと読めない。

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なんか、超ほめてくれてて、超感謝して超尊敬してくれてるらしいのは、わかるんだけど。。。

(中国の文化的には「メンツ」が大事なので、本音は半分くらいなところもあるけど、お別れのときに泣いてくれたのは、とてもありがたく感じて、感動した。)

この間脳トレのプログラムで久々に中国語の単語見てほぼ忘れてたので、日中同音異義語辞典みたいなのを引っ張り出したよ。

何でも使わないと、ね。。。

 

さて、

いまの仕事の服装は「自由」なんですけど、施設のプログラムによっては、動きやすいとかうっかり汚れてもいいとかが必要で、パーカーにジーンズを基本にしてるんですが、わたしの心が落ち着くのって、なぜか、スーツ、せめてジャケットなど羽織ものありの格好なんですよね。

最初の仕事(営業)で染み付いた何かなのかな。

 

それで、講義っぽいプログラムやるときはだいたいジャケット着てスカートはいてます。

見た目が先生ぽいので、利用者さんもちゃんときこうとする心理的効果があるような気もする。

 

データマネージャー時代は、ほとんど楽器弾く暇がなくて(無理してやってたら不整脈になったり)、あきらめて爪伸ばしてジェルネイルをしたりしてました。

その手でパソコンのキーを叩くと、ジェルネイル特有の音みたいなのがして、それがなかなか好きだったり。

速く打ってるとたまにキーに引っかかってやばかったり。

 

そういえば、ジェルネイルで、ダルメシアン柄の見本があって、面白いなと思ってやってもらったら、それを犬好きの上司が見て、わたしがダルメシアン好きな人だと思ったらしく、退職するときのお餞別に、ダルメシアン柄のエコバッグをくれました。

なかなか派手な柄で、いつ使うねん、と思いましたが、札幌で身なりをあまり気にしなくなってから、わりと使いました。

他人って、わりと細かいところまで見てるんですね。

 

きょうは友人が主催、出演する演奏会を聴きにいきましたが、それなりに小綺麗にしてました。

うんと昔に買った、エルメスのシルクのショール、Pivoines(芍薬)柄、稀にしか使わないんだけど、ピンクがきれいなの。

爪はシャネルのヴェルニで、ローズ・カシュ(秘密の薔薇)という色、上品で絶妙な桜貝ピンク。

香りはシャネルのココ・ノワール

 

誰かのためとか、誰に会うからとか、人の目を気にしてとかじゃなくて、自分がしたいからするっていうの、やっぱりいちばんいいです。

オバンギャ

みかこです。

 

バンギャに寄る年波。

 

オバンギャ」という言葉を知り、衝撃が走った。

 

年増のバンギャバンギャルとも、ヴィジュアル系バンドが好きな女性)のことらしい。


友人(1つ年上)は、「わたしくらいの歳はもう『ババンギャ』って言った方がいいかもね」と言う。

 

しわくちゃなのに若いつもりの50代もいれば、30代でオバサン自称している人もいて、狭間に揺れるアラフォー世代。

 

80、90代からみればどれも子どものようなものである。
10代から見ればみんなオバサンである。

 

サガンの小説「ブラームスはお好き」のラスト、主人公ポール(39歳)のセリフが頭をよぎる。

 

「もう、私、オバーサンなの、オバーサンなの」

 

14歳下の美男子が熱烈に愛してくれることなんてあるのか?
愛してくれたとして幸せになれるのか?
とりあえずわたしには浮気な年上の彼はいない。

凍結胚の廃棄

みかこです。

 

きょう、不妊治療をやめることにしました。

 

凍結胚を廃棄することにしたのです。

2年間、葛藤のなか保管していましたが、

きょうやめることに決めました。

 

2年と少し前、検査の結果、顕微受精のほかは

ほぼ望みがないことがわかり、

ART(生殖補助医療)の説明会に行きました。

 

どのように成されるものなのかを一通り知り、

痛いのを耐えるのは得意なほうなので

そのときは「ただ淡々とやれば良い」と考えていました。

 

ホルモン剤を飲んだり自己注射したりして

卵巣へ注射器を刺して卵子を吸い出して

6個くらい取れました。

麻酔しないでやったらかなり痛かったです。

そのうち3つが胚になりました。

 

でもわたしの子どもがほしい理由は

「子どもがほしいから」

ではありませんでした。

 

「子どもでも産んだら不安定な自分が落ち着くんじゃないか」

とか

「子どもを産んだら子宮の不具合がリセットできるんじゃないか」

とか

子どもそのものを望んでいるのとは違いました。

 

そのころ、子宮のポリープを取ったり

耳の腫瘍を取ったりもしていて

生きることや人生についてあれこれと

考えるようになりました。

 

結果、

やっぱりこのまま進めてはいけないように

思ったんです。

 

それで、そのうちもしかしたら

「子どもがほしい」と心から思う日がくるかもしれないし、

そのときまで保留にしようと。

 

そして、保留にしているあいだに、

自分の気持ちに蓋をして無理をしていたこと、

ほんとうは、いのちのことは

自然な形であってほしいと思っていることなど

いろんなことに気がついていきました。

 

子どもはすごくほしいわけではないけれども

いてもいいと思う。

でもそれを「操作」したくない。

 

保管の更新期限がきたので、決めることにしました。

 

決めると

今までのいろんなことが思い出されました。

 

人生のままならなさ

そんなに多くを求めたわけではないのに

あたえられなかったこと

手に入らなかったもの

喪ったもの

 

ふつうのおうち

ふつうのくらし

ふつうに親になること

 

なぜ?と問うと

くやしくてくるしくてかなしい

 

涙が出るばかり

 

 

オーケストラの練習に行けば

「音楽をしているあいだは、かなしいこと、つらいことも忘れて楽しいでしょう」

というヴァイオリンの先生のことばのようになれるかなと

行ってみましたが、「結婚行進曲」を弾いたところでまた思い出してしまい、弾きながら涙がこぼれてしまいました。

 

「泣いてもいいから仕事して」と他人に言うタイプなもので、自分も泣いてもいいから演奏しよう、とそのまま最後までいました。

 

オケの仲間にも離婚した人もいるし

いろんな家庭があって

この曲をどんな気持ちで弾いてるんだろうと

そんなことも思ったら余計に泣けてきました。

 

帰り道は

すっかり暗いのと大きな楽器があって

顔がみえにくいのをいいことに

ぼろぼろ涙がこぼれるままにして帰りました。

 

家について、夫とやりとりしていたら

感情の蓋が取れたように

久しぶりにしゃくりあげながら泣きました。

 

 

いのちにしてあげられなくてごめんなさい。

人生に問われること

みかこです。

 

サラ・ヴォーン聴いてます。

 

先々で似たような問題を目の当たりにし(自分の問題ではなく)、これはわたしに何かをせよということなのか、何もしないことを学べということなのか、いまだに人生からくる「問い」の答えの選択に迷います。

 

施設の上司にあたる方(マネージャー)が今月で辞めることになり、昨日が最終出社日だったのですが、わたしは別の仕事があり、施設の仕事はお休みでした。

 

上司とは初めの頃、支援の仕方もふだんの振る舞いも全然違ったこともあって、お互いに理解できず、怒らせたり怒ったりするような関係でした。

あるときから、その上司と、ほぼ毎日、今日どうだったか、誰のどんなことが疑問だったりアプローチをどうしていくかなどの「振り返り」の時間を設けてもらうことになりました。

その中で、徐々にお互いに何をどう感じて考えて動いているのかがわかってきて、かなり信頼しあえるようになってきたのです。

 

周りの人との関係をどんどん良くしていくと、コミュニケーションの意味や価値を改めて感じ、安心できる場所が増え、仲間という気持ちができてきます。

そうすると、そこでの仕事も楽しくなって、もっと工夫しよう、今度はあれをやろう、と、創造的になっていくものです。

 

そういう関係ができてきた人の、突然の退職というのには、わたしはなかなか納得ができず、原因と思しきものに腹が立ちすぎて、このところまったく穏やかではありませんでした。

 

わたしの人生はあとどれくらいなのか、わかりませんが、あまり謙虚になりすぎたり遠慮したりしている場合でもなく、時間の使い方(配分)をこれからもっともっともっと考えてやっていかないといけないな、という気持ちになっています。

 

ともあれ、激務は一段落したので、そろそろお待たせしている似顔絵描かねばね。

顔を見ない医師 ーつづき

みかこです。

 

きのうは、剥がしたとこの判定日(72時間)でした。

 

先日、忙しそうで顔も見てくれなかった先生のことを書きましたが、人にコミュニケーションを教えたりコーチングしてたりする身としては、批判して終わりではあまりにもおそまつな気がしたんですね。

 

それできのうは、もしまた同じ先生に当たったら、「相手をよく観察する」と「自分から承認する」ができるか、トライしてみました。

 

診察室に入ると、同じ女医さんでした。

笑顔で挨拶してみると、目は合いましたが、なんだかニガテそうに目をそらされました。

 

その様子から、

 

「この人はやっぱり人とのやりとりがニガテなだけなのかもしれない」

 

と思いました。

 

引き続き観察してると…

 

お腹が大きい。

妊娠してたんだなぁ。

なるほど、マスクしてるのはそれでか。

それから、手が滑って何か落っことしたりして、独り言を言っている。

それは何だか可愛らしい。

これから親になることの期待と不安、身体の変調とか、いろんなことと付き合いながら、医者の仕事やってるんだな〜。

人がニガテだと、子どものことももしかしたら不安のほうが強いのかもしれないなぁ。

 

そんなことを考えていたら、このあいだ感じたモヤモヤがすーっと消えていきました。

 

イライラするのは相手のせいだけじゃなくて、自分の勝手な思い込みとか、価値観のせいだったりする。

ゆるめられそうなことは、思い切ってゆるめる。

自分から、いい空気をつくる。

そうすると、自分にも相手にも、ラクな「場」になるかもしれません。

 

赤ちゃん、元気に生まれますように♪

さかはらあつし氏 「小さくても勝てます」出版記念講演会 in 札幌

みかこです。

 

さかはらあつし氏に会いました。

 

1995年3月20日、わたしは家で漫画を描いていたと思います。

明日、春コミ(コミックシティ:同人誌展示即売会)だというところで、印刷所にお願いしたものは現地で受け取る予定、それ以外にコンビニのコピー機で印刷して自前で製本する、いわゆる「コピー誌」を作っていたんだけれども、そんな中、サリン事件が起きました。

わたし、明日、日比谷線に乗って、築地方面に行くんだけど。

こんなことになって、みんな、来るんだろうか。

でもわたしは行かねばならぬ。

そこに印刷物が届くのだから。

そんな状況でした。

 

翌日、行ってみた会場には、予想していたより多くの人が来場していて、それなりに売り上げ、とりあえずは形になった・・・けど、人のこと言えないけど、あんなことがあった翌日にこんなところによく来るよな、という感じでした。

その当時流行っていたPINK HOUSEの服を着た、スーツケースを持ったお姉さん達も、いつものように、ぞろぞろと、来場していました。

オタク、たくましい。と思いました。

 

さかはら氏は当時、電通の社員でしたが、サリンが撒かれた電車に乗って、サリンを吸った被害者の一人だったそうです。

そんな目に遭ったもので、人生一度きり、会社員で終わるより、やりたいことをやろう!ということで、映画監督になることにしたとか。

 

さかはら氏の話にはいろんな経済や映画業界の著名人(グローバルなレベルの)がたくさん出て来るので、半分以上ついていけてなかったけど、ついていけてない感じがまた、刺激になりました。

 

ひとまず自分の持っている本に全部目を通してみようっと。

あと、やることの分類や優先順位のつけ方もわかったので、それをやることと、ピーナッツを毎晩食べることと、自分の腕を磨くことかな。

 

さかはら氏の万年筆、わたしの持ってるペンと同じで、同じところで研いでもらったものだと。それがなんだか嬉しかったです。

 

変な話ですが、「小さくても勝てます」読んだときは、その中に出て来る氏のようにとぼけた感じで、さりげなく困っている人の役に立てたら面白いだろうなぁ、と思いました。

わたしと話して何か得るものがあったという人は、何人かいらっしゃるのですが、そういう感じかな?と。

でもわたしのいちばんやりたいのは、またちょっと別のことなんです。

 

どれも全部形にするには、どういう作戦がいいのか、考えるときなんだな。

顔を見ない医師

みかこです。

 

パッチ剥がしました。

 

今日は女医さんでした。

余計な心配が要らないのはよかったんですが、顔も見ないで診察するタイプでした。

人間嫌いなのかなあ・・・。

 

最近は、コミュニケーションって大事だよ、みたいなことを発信している側であり、周りの講師仲間もそういうのが当たり前の方々なもので、そういう人って最近あまり出くわしてなかったんですが、久々に、そういえばこういう人いるんだった、という気持ち。

 

治療したいのであれば、顔を見ないのはナシだと思うんです。

プラセボというものがあるように、人はパンのみで生きるのではないというか、人間は薬だけで治るんじゃないのでね。

治って欲しいと思ってないのかなぁ。

こんな忙しいのに、大したことない病気で来やがって、ぐらいなんじゃないかなぁ。

と、つい、想像してしまいます。

ほんとはそうじゃなくてもね。

 

治験コーディネーターの頃は、被験者さんが先生に顔も見てもらえてないのが気になっていました。

被験者さんの顔を見ながら、先生に何か言いたそうだなぁ、と思い、いたたまれない気持ちになったのを覚えています。

医師も人間なので、その人にとって無理なものを要求しても仕方がないのだけど、自分ができることが相手にもできるとは限らない、ということはあるのですが。

 

今の所、貼付部位には反応がない、というコメントだったので、やっぱりわからないのかもしれないなぁ。

でも、それらの物質について、心配しすぎしなくていいということで、プラスに考えることにします。