きょうは「障害者の日」だった日
みかこです。
きょう(12月9日)は「障害者の日」だった日です。
妹のことをどこかに書くということについて、自分がもし死んだ後に、自分のことをあれやこれや書かれたらどう思うだろうか、というのがブロックになって、書かないほうがいいのかなって思っていました。
死んじゃった人のことってどうしたらいいのか。
障害者だと、生きてるうちから、「うちの子はこうなんです」という話もたくさんされるもんだけれど、どうなんだろう、本人的には。
そんなことを考えていました。
でもなんというか、「彼女の生きた何か」を書いておきたいなと思うようになって、それを書く目的が、自分のため(わたしってこんなにつらい(つらかった)の)とかじゃなければいいか・・・と思うことにしました。
さて、妹は、どんな子だったかを少し。
わたしに似て(?)笑顔がとっても素敵な子でした。
多分、顔立ちそのものはわたしよりも整っていて、「こだわり」「自傷行為」さえなければ、それなりに可愛い子に育っていたんじゃなかろうか、と想像します。
(「頭突き」を覚えてしまってからは、パニックになったらいろんなところに頭を打ち付けるようになって、ラクダのコブみたいなのがひたいにできていました。)
わたしは楽器をやってますが、妹は耳が聴こえない。
でも姉のやっていることには興味津々で、よくピアノを触りにわたしの部屋にきました。
ダーンダーンとしばらく鳴らして、その横でわたしもちょっとなんか弾いて、それがもしかしたらゲイジュツになるか?と思って録音してみたりしたこともありました。
(たまに、そういうCD作ってるひといますね。)
音は「理解」できないかもしれないけど、何かしら感じているんじゃないか?というので、テレビに繋ぐと出てる音に合わせて振動するクッションを試してみたり、でも全然無反応で意味がなかったり。
ヴァイオリンに興味があって、親も本物(スズキの五万くらいのセット)を買い与えてみたけど、弾きませんでした。
妹にとってヴァイオリンは、どういう「好き」だったのか、こんど、天国に行ったときにでもきいてみたいです。
お風呂が好きでした。
ずーっと入ってて、ずーっとお湯やら水やら出してて、水道代が大変なことになっていました。
長時間入っている間、排泄物が湯船に浮いてたりするんですが、わたしは日々、妹の排泄物を掬ってすててました。
何でこういうのの中にいて平気なのかなぁ・・・と長年不思議だったのですが、佐々木正美先生の「子どもへのまなざし」を読んで、子どもの排泄物の捉え方というのを知り、超納得したんです。
「自分の一部」なのです。
排泄物はその子にとって、とても大事な、「自分のもの」なんだそうです。
だから毎日嬉しそうに風呂でプカプカと周りに浮かせている。超納得。
ソファーでよく遊んでいました。
思うにあれは性的な遊びだったんじゃないかと思っています。
詳細は伏せますが、絶頂に達したあと、頬が紅潮していました。
そういうのは、我々は隠れてしますが、妹はオープンでした。教えてないけどいつの間にか体得するものなんだな。
絵が上手で、たまにクレヨンとか持たせると、絶妙なタッチで特徴をよくとらえた家族の顔を描いたりしました。
とても簡単な線で、それなりに誰かわかる顔を描けるのはなかなか素晴らしい才能です。
妹のその「絵が描ける」というのを見て、わたしは「字も書けるだろ」と思って字を教えました。
このことはわたしの人生の最大の功績かもしれません。
今後どれだけ何をやったとしてもこれが最高だとたぶんわたしは思うんだろうなと思っています。
ある人の世界と、わたしたちの世界をつなぐ、コミュニケーションの扉がひらいた。
それこそが、人が求める最たるものなんじゃないかって思うんです。
言葉ができても、気持ちが通じなかったら、それは喪われているけどね。
誰かとつながること。そういうことを人はずっとずっと求めている。
ヘレン・ケラーが言ったらしい言葉
「障害は不幸ではない」
本人のとらえ方と環境が、それを左右するとわたしは考えています。
妹は幸せだと思っていたらいいなぁ。