「東京が特殊」という考え方
みかこです。
都会育ちです。
大阪生まれ、東京育ち、札幌在住と言うと「いいところばかり住んでますねえ」と言われることがあります。
何を以って「いいところ」なのかわからない気もしましたが、その人たちにとっては「都会」というのが「いいところ」なのかもしれません。
東京で育ってしまった人は、地方の感覚がわかりません。
わたしもわからなかった。
夫の転勤に伴い、わたしも転職をして札幌に来ることになったのですが、もうそんなことで転職するのは嫌だと思って、全国に拠点がある会社、全国どこでもできる仕事を探しました。
それで選んだのが、治験コーディネーターという仕事。
面接は東京本社で受けました。
面接当日、突発的な大雨で交通機関のダイヤが混乱していて、3時間くらい大遅刻して行ったけど、諦めず面接に来た根性を買ってもらったのか、経歴が気に入ったのか、即内定をもらいました。
半月ぐらい東京本社で研修を受けて、なかなかいい会社だな、と思いつつ札幌に来たんですが。
札幌では
カラコン+つけま+茶髪+ギャル文字+日焼けサロン+自分のことあだ名で呼ぶ
という人が上司でした。
さらに、「ビジネスマナーって何?」みたいな人がふつうにいる。
オフィスも暗くて狭くて物が乱雑に置いてあって、何とも言えない匂いもするし、何が入っているのかわからないダンボールがたくさんあって、重要な書類も無くなったりする。
「なんでこの人たちが社会人やってられるんだろう・・・」
と思いました。
そして、日々の会話にやたらと「マウンティング」がある。
わたしが東京に帰りたいと思っているのを知っているくせに、春になって今回は転勤がなかったことを伝えると「札幌いられてよかったねぇ〜!」とか、うちに子どもがいないというのに対して何かアピールしたいのか「妊娠しました!」と一生懸命伝えてくる(残念ながらその子は生きて生まれなかったけど・・)。
ストレスで禿げるかと思った。
さらに、東京にいると「なんでも揃っていること」が当たり前すぎて、札幌は「わたしの好きなあらゆるものがない!信じられないほど不便だ!」となりました。(化粧品や服のブランドとか、遅くまでやってる本屋とか、家具や贈り物買うのによく使っていた店とか)
飲食店に行っても、店員が皿持って突っ立ってテーブルの上の場所をあけるのを待ってたり、二人で並んで座っている間から料理を出したり、わたしが学生の頃、東京のレストランでバイトしていた時に「絶対にしてはいけない」と教わったことを、あらゆるお店でやってるんですね。
そんなので、しばらく、北海道弁聞いただけで吐き気がしていました。
わかりやすい適応障害です。
仕事柄、膀胱炎とか腎盂炎みたいなのにもなりました。
そんなこんなしているころ「マイルドヤンキー」という概念を提唱したマーケティングの方がいました。
面白いなぁと思って、それに関連するあれこれを読んでいたところ、「マイルドヤンキーとか言ってるけど、地方はみんなそうだよ。東京が特殊なだけ」ということを主張している方がいました。
これが、すごい目からウロコでした。
そうか。
これが当たり前なのか。
日本全体で言うと、こういう社会が「ふつう」で、東京だけは、そういう人がいられる場所が少ないんだな。
そう思うまでは、自分の運が悪いんだろうかとか、これまでのいろんな失敗を思い返して、あのとき失敗しなかったらこんなところにはいなかったはずだとか、考えてもどうしようもないことで悲しみ、怒り、夫に「あなたのせいだ」とその気持ちをぶつけ、よく荒れていました。
でも、「東京が特殊」と思ってからは、今いるところで自分はどうするのか、何を喜びにしてどう暮らしていくのかを考え、ここにいることのメリットや、そういう人たちのいいところも探そうとするようになりました。
東京などから来て適応できない(できなかった)人を見かけますが、そういう人にこの話をすると、すごく納得してくれます。
「話が通じないんだよね」というのもよく聞きますが、東京の感覚で話しているから通じないんです。
どっちがいいか悪いか、上か下か、ということではなくって、「違う」のです。
「困った状況」になってストレスを感じているのは、それに対処する方法を知らないからで、それを知って、できるようになれば、ストレスが軽くなります。
どんな人でも働きやすい職場にしていくというのも、とても大切なことですが、目下、感じているストレスをなんとかできるのは、ほぼ、自分だけです。
同じ環境でふつうに楽しく生きて行けている人と、ストレスでいっぱいになる自分は、なにが違うのか、考えてみるのもいいかもしれません。