「青色申告ナントカ」の思い出
みかこです。
確定申告しました。
「稼いでないのに開業してどうすんの?」
「開業なんかしてもしなくてもいい」
「なんで開業してないの?」
等々、いろんな意見を聞きすぎて、「自分がどうしたいのか」をさっぱり置いておいてしまったのですが、結局「けじめをつけたい」タイプの自分は、開業届を出しました。
いつ開業したのか?
講師デビューした日にしました。(収入も経費もなかったが)
そんなわけで今回の申告は白色です。(選択の余地なし)
今年度分は青色でしてみようと張り切って紙を出してみました。どうだろう。
わたしの祖父は、商売人でした。
貸し衣裳屋さんから始めて、呉服屋になりまして、和服が廃れるとともに商売も廃れ、開店休業状態になり、ある日、脳の血管をやってしまい、入院したあと認知症になって、最終的にもう何もわからなくなり、ずいぶん痩せこけて、亡くなりました。
祖父は、わたしのことを孫の中ではおそらく一番可愛がってくれていたのですが、わたしはそういう祖父がありがたいような面倒くさいような気持ちでいました。
要らんと言ってもお金をくれたり、嫌だと言っても学校に行け・勉強をしろと言ったりしました。
どちらも結局わたしにとってプラスにはならなかったけど、孫という立場はそういうものなんだというのはわかった。
わたしは歳をとるごとに祖母に似てきているのですが、祖父がわたしのことが孫だとわからなくなり、自分のこともわからなくなると、ナンパしてきたりもしました。
好みの顔なのかもしれないですね。
お店の奥(居住スペース)の壁には、青色申告何たらかんたらと書いてある表彰状みたいなのが飾ってあって、「青色申告ってなんだろう」と小さい頃からずっと疑問でいました。
この歳になって、ようやく「なるほどこれのことか」とわかったわけです。
祖父がお店をやっていたから、というわけでもないんですが、わたしは「いつか商売をしてみたい」と思っていて、でも「自分は障害者の妹を養わねばならないので、そういう不安定な生き方はできないしな」と考えていました。
妹がいなくなってからも、「子どもができるかもしれないから不安定な生き方はできないしな」と思っていましたが、かなりの確率で子どもができないことがわかりました。
人生何が起こるかわからないというか、まさかしかないというか、いろんなことが、小さい頃に想定していたのとは全く違って、結局は商売をすることになり、いいんだか悪いんだか、でもわたしなりに色々考えてやってきて、この道しか通れなかったんだもんなぁ、というわけで、今を生きているわたしです。
「いつか、祖父の戦争の思い出を聴き取って、漫画を描こう」と思っていました。
でも、それを聴く前に、祖父は認知症になってしまいました。
祖母も、耳が遠くて「会話したくない」人になってしまいました。
「いつか」じゃなくって「いま」やらないとできなくなることっていっぱいあるんだよな。
大切なことは、手遅れにならないうちにやっておきましょう。
あと、周りから見てどうというより、自分のやりたいことからやりましょう。
さて、確定申告は3月半ばが〆切ですが、3月13日の税務署は、「祭り」でした。
入ってから相談まで2時間くらい並んだし、車で来た人はずっと駐車場に入れないようでした。
申告書を印刷して来てない人はもっと長くかかったんじゃないだろうか。
この時期の税務署はそんな感じだというのがわかっただけでも収穫かな。
並んで待っている間に「自営業の老後」をほぼ読み終えました。
この本は、「何となくフリーランス」やってしまってる人、必読です。
自分の老後もだけど、これからの人たちの未来を創っていくこと、しっかり考えよう。
自分の表したい価値を醸成していこう。
そんなふうに思いました。