「市民の歌」
みかこです。
北海道交響楽団さんの演奏会を聴きに行きました。
川越先生の写真や指揮棒が置かれたコーナーがあり、指揮棒を触らせてもらって、写真の写真を撮りました。
ボードの左下、まだ32歳という頃の川越先生はなかなかやんちゃなかんじです。
この写真のころ、32歳のときに書いた「市民の歌」は、「札幌市民憲章」が制定された翌年の一般公募に応募して入選したものです。小学校の給食の時間などに流れていたとか。
この日の演奏会のはじめには、その「市民の歌」が演奏され、みんなで歌うことになりました。
わたしは、知らない曲ながらも、楽譜が印刷されてあったので、歌いはじめました。
音符を追うのに精いっぱいになりながら、爽やかな曲に合わせて明るい歌詞をたどっていると、「これを書いた川越先生がもういないのでこれを歌っている」ということに気がつき、胸のあたりがギュっとなって、声が詰まり、それでも歌おうとすると、涙があふれてきました。
演奏された団員の中にも、演奏後に目のあたりをハンカチで拭っている方がいらっしゃいました。
伸びろ若い樹 すこやかに
雲に未来の夢のせて
さやかにひびく 鐘の音は
わたしたちの ねがいです
わたしはこの「市民の歌」の2番の歌詞が好きになりました。
札幌へ来てすぐの頃、地下鉄の駅に掲示されている「札幌市民憲章」を読み、そうか、街というのは、そこに住む市民一人ひとりが「つくっている」ものなんだな、と、はっとした記憶があります。
街と文化というのはもうすでにそこに完成されており、変え難いもので、抗うか迎合するかのどちらかだと思い込んでいました。
「染まらずに東京に帰ること」に専心し、努めて「他人事」でいようとしている自分に気が付いたわけです。
「札幌市民憲章」
前章 わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。
1 元気ではたらき、豊かなまちにしましょう。
2 空も道路も草木も水も、きれいなまちにしましょう。
3 きまりをよくまもり、住みよいまちにしましょう。
4 未来をつくる子どものしあわせなまちにしましょう。
5 世界とむすぶ高い文化のまちにしましょう。
すてきなことばが並んでいます。
川越先生はこの5章がお気に入りだったそうです。
そんなまちにしていくために、わたしにできること、やっていこう。