まるぽて

みかこのなんでも書くブログ

別居の理由はいろいろ

みかこです。

 

「夫が転勤になっても自分だけは札幌に残れるように動いている」と話すと、驚かれるし反対もされたりするのですが、夫とはたくさん話し合って「やれるだけやってみよう」ということで決めました。

 

最初の医薬品メーカー営業の仕事を辞めたあと、結婚して、専業主婦はやっぱり何かが違い、1日4時間のパートをしてみたら、上司から「パートなんかでいるのがもったいない」と言われ、それならフルタイムで働いてみるか、と派遣登録し、派遣社員をしていたら派遣の先輩に「まだ年齢的に間に合うから正社員になりなよ」と言われて転職活動をし、ふたたび正社員になりました。

 

その仕事で結構忙しくなっていたときに妹が他界し、逆にもう全然仕事を休みたくなくて、葬儀後もさっさと職場にきていました。仕事に助けられていた気がしますが、マナー本に書いてあるようなお悔やみの言葉を言ってくる同僚にムカついたかと思えば、美人の上司が涙をためながら「大丈夫ですか?」と言うのでこっちまで泣きそうになったり、心中いろいろありました。

残業が続いていて、妹の30歳の誕生日もお祝いに行けなかったんだけど、その2週間後くらいに突然死んでしまうことになって、将来養うことになるであろう妹のために働いていたつもりのわたしは、人生設計が白紙になった気持ちでした。

 

そんなころ、会社では誰もやりたがらない「中国へのアウトソーシングプロジェクト」が立ち上がり、「もうわたしには守るべきものもないし失敗もこわくないし、この鬱屈した気持ちを切り替えたい、人生の流れを変えたいなぁ」とそれに手を挙げてみたりして、結果的にプロジェクトリーダーになり、また残業三昧になりました。

 

それでも仕事内容が物足りなくて、プログラミングや統計の本を読んだりしながら、「システム部門か臨床統計部門にいきたいなぁ」とか考えてたら夫が札幌へ転勤することに。

妹が亡くなったとき、ずっと先の幸せ(=親が死んだ後に妹を養う)のために、目の前にいるその人を大切にできていない(=残業で妹の誕生日も祝えない)よりも、今このときの自分にとって大切な人を少しでも大切にしている方が良い、と思い直したこともあって、「仕事より家族が大切だ」と思っていたので、わたしはその仕事を辞めることにし、札幌にも拠点がある会社を探して、転職しました。

札幌では、想像を超えるショックな出来事があって、「私が今まで頑張っていたこと(臨床試験のデータを使うあらゆる仕事)は何だったんだ?」とびっくりしたりたいへん傷ついたりもして、最初の2年は北海道と夫の会社を呪いながら過ごしました。

 

でも、根本的に、不満や不安や怒りがおさまらないのは、自分が自分の生きたい人生を生きてないからかなぁ、と思いました。仕事も、ほんとは外的な要因(夫の都合)で断絶されたくなかったのかもしれない、と気がつきました。

 

それで、今、夫についていくには「何もかも」が中途半端過ぎる気がしており、「東京へ越す理由」として納得のいく何かが見えてくるまでは、札幌にいてみようと思いました。

 

夫はわたしのいろいろなことにとても理解のある人ですが、それでもすぐに「いいよ」と言ったわけでもなく、わたしもふだんあまり感情が表に出ない方ですが、「泣いてもいいからわかってもらえるまで説明する」という感じで、たくさん泣きました。

弟も、「理解はするけど全面的に賛成というわけにはいかない」という感じでした。

 

「誰かに言われたからこうした」というのは、ほんとうは「嘘」で、いつでも「自分が」決めている通りに生きているはずなのですが、「誰かに言われた」事実があると、その「自分で決めた」ということが、自分にわかりづらくなってしまうので、誰かに腹が立ったり恨んだりしてしまうのだと思うのです。

 

 

奇跡的なことなのかもしれませんが、良い関係だからこそ別居できる、というのもあるのね。