学歴コンプレックス
みかこです。
母校はエンジニアが多い学校です。
父は、学生運動で東大が受験できなかった年の人間で、京大を卒業しています。
親には「医者になりたいなら東大の理科三類しかダメ」と言われてローラー作戦のような勉強の仕方をしていたら全く埒が明かず、受験は自分の中では「うまくいかなかった」と思っている方です。素直というか何と言うか・・・。
「学歴コンプレックスがある」という人がいますが、そういう人は今が幸せじゃないのかというと、そうでもないように見えます。
本人がどう思っているのかは、わかりませんが。
「行きたかった大学に行けなかった」ということであれば、私もそうです。
でも「こんな学校に来てしまった」と思う人と「第一志望に入れた」「いい大学に入れた」と思う人では、その後の3年なり4年なりが、下手したらそれ以降の人生全体の過ごし方が、全然変わってしまうことがあるような気がしました。
同じ学校にいるのにね。
私が入った高校に、補欠合格で入って来た子がいました。
入学してすぐの自己紹介タイムみたいなときに
「こんな学校に入れるなんて、本当に夢みたいで、とっても嬉しいです!」
と言っていました。
一方の私は、滑り止めで入った学校だったので「こんなところに来てしまった」と思っていて、その子の発言にすごく驚きました。
同じ学校なのに、そう思う人もいるんだ。そう思えてる人は幸せなんだろうな。
なんて、思いました。
今、支援員として働いている事業所の利用者さんには、いわゆる「すごい学歴」の人がいますが、その人は今は働けていないので、うちに来ているわけです。
資産家で、結婚もしているけれども、通所しているという人もいます。
望む大学に入れば幸せ、お金があれば幸せ、結婚できれば幸せ、というのも、彼らを見てると違う気もします。
今まで働いて来たなかで出会った医師の方々には、精神を病んでいる人もたくさんいました。
話し掛けても、ソリティアをやりながら「いま忙しい」という先生もいました。
私のやりたかった仕事をしてる人たちなんだけど、こんな風になってしまうことってあるんだ、と、ショックを受けたりもしました。
今、元気にどこかで働いていて、誰かのために貢献することができていて、自分の暮らしも守られているのだとしたら、過去の受験の失敗(?)って、一体どれだけの、意味があるのかなぁと思ったりもします。
私は、小さい頃に思っていたような人生には微塵もなっていないですけど、この道を来たから、今のいろんな方とのつながりがあり、夫にも出会って、それが私にとって今、とても幸せなことなので、「あのときああしていたらよかった」と思うことは、今はほとんどというか、全然なくなってしまいました。
そう言えることに何も無理がないのが、ちょっと自分でも驚いているところなんですが。
昨日書いたことの最中のときは、そんな風には思えなかったものです。
昔、私のことを好きになってくれた人に、
「今が幸せだから、過去を肯定できるんだよ。
今が幸せじゃなかったら、過去も後悔したくなるんだよ」
と言ったら、褒めてくれたことがありました。
でも結局は、そういうことなんだと思います。
どうなったら自分は「幸せ」なのか、その「幸せ」の状態になるために、自分にできることがあるとしたら、それは何なのか、というのを日々自分に問い、できることをやるというのを繰り返して行ったら、そのうちたどり着けるんじゃないかと。
それに取り組んでいる間は、ゴールに到るまでの道のりも、楽しいんじゃないかと思うのです。