まるぽて

みかこのなんでも書くブログ

いのちの際にて

みかこです。

 

札幌、大雪です。

 

こちらに来てすぐの頃、篠路の方の施設で仕事をしていました。すごい雪で前が見えなくなって、ホワイトアウトというのを初めて経験したんですね。東京にいる母に「雪すごかったよ。ホワイトアウトだった!」とメールしたところ

 

ホワイトアウトってなに?『雪でダメ』ってこと?」

 

と返信がありました。当たらずとも遠からずだ・・・と思いました。

織田裕二ファンだったはずだが、映画見てなかったのかな。

 

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いつ書くの?今でしょ!というようなお手本があったので書きました。

 

で、きょうは大雪だったんですが、どうしても行きたい楽しい集まりと、どうしても行きたい切迫した用事があったので、「大雪嫌だ〜」という投稿が並ぶFacebookのフィードを横目に、雪のことは特に何も感じず、一日を終えました。

 

結局、物事は、条件なんかじつはあんまり関係なくって、やりたいか、やりたくないか、それだけなんだと思います。あとは、メンツだの、生活だの、あれこれ強制力があって、それが少しブレるかどうかで。

 

いのちの際にいる人と話をしました。

知り合ったときに、お互い音楽が好きだというのがわかって、わたしはその人の歌が聴きたかったんだけれど、ひと月ちょっと連絡しない間に、まさかの大病になってらしてね。

残された時間がくっきりとわかってくると、もう、取り繕うことの無意味さが痛いほどわかる。この人と過ごせる時間、全部本音で話をしようと思う。

でもほんとは誰もがいつどうなるか、わかんないんですよね。

 

それで、あらためて、ちょっと書くのどうかと思っていたことも、ここかどこかに書いていこう、と思いました。

 

 

きょうはその人に話した話を少し。

小学校、中学校、高校ともれなく不登校をやったわたしは、大学ならいける、と思ったんですが、そうじゃなかったの。

 

3年生までは、クラスのないシステムに助けられて、いろんなところの友人たちと仲良くすることで、誰かに妬まれても嫌われても大丈夫、という生活をしてました。

4年生の直前になって、研究室に入りました。

わたしは、その研究室に入りたかったから、その大学を受けた。

その研究室の先生が素晴らしいと思っていたし、やっている内容もすごいと思っていた。

 

でも入ってみたら、違ったんです。

 

わたしが期待していたような先輩たちではなく、わたしが期待していた先生でもなかった、というのが正しいかな。

先生は酒乱というか、酒飲まないといられないような人だったし、先輩は大学院生なのに簡単な英単語もわからないし、そのくせパワハラというか、タテの圧力でやりたい放題言いたい放題みたいな感じでした。

 

でも入ってしまったからそこでやるしかない。

 

3年生の終わり頃から就職活動をはじめましたが、とにかくそれが、先生の気に入らなかった。「なにが就活だ、研究はどうしたんだ!」というやつです。わからなくもないけど、就職氷河期で、みんな必死でした。院に進む人以外は毎日のように説明会だ面接だと忙しくしていた。

 

4月になり、わたしも高校行かなすぎて留年したり医学部にこだわって2浪したりしてたけど、いくつか内定もらえていた。でも、研究室の同期で同じ製薬業界を目指していた子は、なかなか決まらずにいました。

 

研究室の掃除をしてるときに、その同期から声をかけられて、「ちょっと、話をしたいんだけど、ファミレス行かない?」と言われました。

でもわたしも予定がつまりすぎていて、「ごめん、今日じゃなくて、また今度なら行けるんだけど」と言うと、「あ、忙しいよね、ごめん、気にしないで」と言って、特に約束もせず、同期は帰りました。

 

それからしばらくしたある日、別の研究室の先生から「製薬業界の人が遊びに来ているので、就活のプラスになるように業界の話を聞きにこないか」と、お誘いがあって、わたしとその子は一緒に別の研究室へ行きました。

そこで、話をしたかどうかっていうくらいの、短い時間しか経っていなかったところへ、わたしの研究室の先生が、たまたまその部屋に用事があって、入って来ました。

 

先生は、わたしと同期を見て、真っ赤になって怒り出しました。

「就活だっていうから大目に見ているのになんだお前らは、こんなところで遊んでるのか!」

慌てて、その研究室の教授が取り繕おうとしても、全然収まらない。

 

「何が製薬だ。俺は製薬のプロだぞ。俺に相談しようともしないで、テキトーにやってるから内定取れねえんだよ!いいか、お前らに単位はやらんからな!絶対に卒業させんぞ!」

 

そう言い残して行ってしまいました。

わたし内定もらってるんだけどな。と思ったけど、黙ってきいて。そのあとまたそこの先生と同期と一緒に謝りに行ったけど、取り合ってもらえない。

 

仕方なく先輩に報告したら、「とりあえず反省文を書いて出すように」ということになりました。

作文が得意なわたしは、微塵も思ってもいない謝罪文を切実なふりをしてぺらっと書き、こんなもんでいいだろ、と出しましたが、それを一緒に出しに行こうとした同期の反省文が、どうも、おかしい。

 

「自分は価値のない人間です」

 

は?

と思わず声が出たかもしれません。

「ここまで書かなくってもいいんじゃない?」と言いました。でもなんだかもう同期は、わたしの話をきいていない。どこ見てるかわからない感じで「やばいよ、もう、卒業できないよ、やばいよ、どうしよう」と繰り返している。

そんな横暴が許されてたまるか、と思っていたので、わたしは何も不安に思わず、それを出しました。

 

とりあえず研究を続けてよろしいということになって、そろそろ教育実習とかだなという頃だったか、朝、ゆっくりめに研究室に向かっていると、先輩から電話がかかって来ました。

「早く来いって怒られんのかな」ぐらいに思って出てみると

 

「落ち着いてきいてね、●●くんが自殺した

 

「え?」

「今、遺書とかないか、研究室とかロッカーとかをみんなで探してる」

「自殺って、あの、もう死んじゃったんですか?」

「俺もよくわからない」

 

 

それからしばらく、研究室がふつうに機能しなくなりました。

ある同期はショックで出て来れなくなり、別の同期は屋上にいると変な気持ちになると言い出し、研究どころじゃない。

わたしも先生や先輩たちへの怒りや、自分はなぜあのとき彼の話をきいてあげなかったのだろうという自分への怒りでいっぱいになり、毎日ぐるぐるとああでもないこうでもないと考え、心がめちゃくちゃなまま教育実習の時期になり、学校へ行ってもクラス担当の先生に挨拶し忘れて帰ってしまってお怒りを買ったり(許してもらえましたが)、実習の終わったあとはもう、「研究室に行きたくない」が爆発して、学校にはいるが、研究室にほとんど行かないという、保健室登校みたいなことになっていました。

 

大学に行って何してたかって、ギター部の部室をただひたすら、片付けてました。

 

何とかして心を片付けたかったのかね。

ギター部の人たちには感謝されたけど。

 

そんなわけで、大学は最後まで楽しく行けると思ったんだけれど、そうでもなかったわたし。最後は何とかちょっとだけ取ってあったデータで卒論書いて、卒業しました。

 

きょう会った方は

「きっと、話をきいてあげてたら、何か違ったかもしれないって思ってるのかもしれないけど、話をきいてあげなかったからじゃなくって、その人は、そこで終わりにしたかったんだよ。みかこさんのせいじゃない。」

と言って、手を握ってくれました。

 

ぽろぽろと、涙がこぼれました。