適材適所
みかこです。
えべチュンと写っている写真が出てきました。
ジュニアオーケストラを道内各地に!という助乗さんのプロジェクトが始まってすぐの頃。
あの演奏会に参加していたチェロ弾きのお医者さんが、わたしをシンフォニエッタに誘ってくれたのです。
フルーティストの按田さんとバッハの管弦楽組曲を、ピアニストの星くんとベートーヴェンの「皇帝」を、などと、贅沢な演奏会でございました。
全曲乗って、ヒール履いて立奏で、よくがんばった。
江別のゆるキャラ「えべチュン」をわたしに教えてくれた、当時の会社の先輩は、半ばクビみたいな形で会社を辞めました。
とてもマズイ事(詳細は不明)をしていたのが明らかになり、再教育を受けるために東京に行けというのを断り、退職されることになりました。
本当にその仕事が好きだったら、再教育されて、帰ってきたらよかったと思うんだけど、残念ながら、その先輩からは、その仕事が好きとか、その仕事に使命感があるというのを感じたことがなく、ただ、自分が褒められるとか、お金をもらえるとか、目立つとか、優位でいられるとか、そういうことがモチベーションになっていたように見えました。
「会社を辞めたら、スナックみたいな小さなお店をやりたい」と言っていたけど、本当にそういう仕事の方が向いているような人でした。
今ごろどうしているのかな。
適材適所っていうのを考えるときに、一般的に、タテマエというか、とても狭い範囲で考えているような気がしていて、「本当の社会」というのはもっとずっと広くて深くて本当にいろんな仕事があって、多くの人が「選ばない」ようなお仕事が、いちばんぴったりな人というのは、います。
水商売も、お金に困ったからって誰にでもできるものでもなく、必要とされているから成り立っている仕事なんだけど、進路指導で勧められることはないし、これをやってるんだと言ってもあまり褒められることもない。
でもそういうところが合っている人もいます。
一方で、規律を守らないと気が済まない人もいます。
障害レベルじゃないけど自閉傾向というか、それを曲げることが非常に難しい人。
正論ばかり言うなと言われても、脳の事情的に、それしか言えない人もいるわけです。
そういう人は、本当にルールを曲げてはいけないような仕事についたら、歓迎されるんじゃないでしょうか。
「こういう仕事がいい仕事」ではなくて、いろんな仕事が支え合って、社会が成り立っているので、人から見てどうとか、そういうことではなくて、自分がいちばん心地よく過ごせる場所、楽しく力を発揮できる仕事を選ぶ、というのが、みんなの幸せに繋がるんじゃないのかな。
仕事の種類によって、許されることとそうでないことは、全然違ってきます。
先輩のような人は、厳しいルールを守ることを要求される仕事で、うっかり(あるいは故意に)許されないことをしてしまうよりも、誰かのどうにもならない気持ちや、誤って誰かを傷つけたり、失敗したというのを受け止めるような仕事に就くと、とっても素敵な人になるんじゃないかな。
えべチュンを見て、先輩を思い出して、そんなことを考えました。