「障害があるから」と諦めない
みかこです。
感動しちゃった。
障害者自立訓練事業所の利用者さんのうち、必要な人には家族との間で連絡帳を使ってやりとりをしています。
そこに書いたことがきっかけになって、利用者さんが、今までやらせてもらえていなかったことを、自分ひとりでやってみる経験をすることができました。
ご家族も、それができたときの嬉しそうな利用者さんを見て、とっても嬉しかったようで、その様子が文面から伝わってきて、ジーンとしました。
初めは、利用者さんを我々に預けることについて、どこか申し訳なさそうな雰囲気だったのに、「自信をつけられるような経験を増やすようにしていきたい」と書いてくださっていて、嬉しくて泣きそうになりました。
通所施設ですることって、いくら専門的知識のあるスタッフがいるとは言え、時間も場所も内容も限られています。長い時間を過ごす家庭などでの対応が、当事者にとって良い方へ変わると、当事者の「困りごと」がより早く解消に向かうようになります。
施設のスタッフが気づいたことを丁寧に伝えることで、家庭での対応が変わることがあります。ほんの些細なことです。それでもそれが、当事者にとって、新しい一歩、素晴らしい体験になることもあります。
どんな人でも、どんな表現をしていても、その人なりに、一生懸命に、本気で生きている、と、私は考えています。
なので、可能な限り、感謝と労いを忘れないよう心がけています。
当事者の親、家族も、その人なりに、一生懸命に、本気で生きている。
子ども・きょうだいに対してうまく対応できなくても、たとえば何かが過剰だったり、逆に手をかけられなかったり、不適切な行動をしていたりしても、その親なりのキャパ(思い込み含む)で何かしらにエネルギーを使ってしまっているわけです。
その中で、今までやってきたこととはちがう形の、別の方向性でのエネルギーの使い方もある、ということに気が付いてもらえたら、とてもラッキーだと思うのです。
個人的には、どんな人生があってもいいと思っているけれど、我々の事業所に来るからには、自立へ向かって前進することを目指しているわけなので。
こういう病気だからこんなことはできないだろう
こういう障害があるからこんなものはいらないだろう
そういう考えを一度脇に置いてみたら、どうなるでしょうか。
当事者が自立し、働き、ひとりで生きていくことができるようになる存在なのだとしたら、何を求めていて、何ができるようになりたくて、何があると良いだろうか。
そういったことを、周りの人みんなで考えられるようになったら、当事者も自分を尊重されていると感じ、少なくとも鬱などの二次障害には至らず、明るい気持ちで生きていけるのではないかと考えています。