傾聴ボランティア体験談
みかこです。
聴くのが好きです。
先日、傾聴ボランティアの学習会で発表した体験談をまとめてみました。
傾聴ボランティアに興味のある方は読んでみてくださいね。
-----
「人の話を聴く」というのは、わたしにとっては「ふつうのこと」でした。
というのは、わたしは物心ついた頃から、母親の愚痴を聴いて育ってきたからです。
わたしの妹は、先天性風疹症候群で、重い障害を持って生まれました。
障害児が生まれたということで、母親は色々な苦労をしており、父親はそれに対して非協力的で、夫婦の間にはほとんど前向きな会話がありませんでした。
母親は、社会に対する不満や、うまくやっていけない知人、父親とその親族などに対する不満を毎日のようにこぼしていましたし、子どものわたしと弟がそれを聴いてきました。
その「ただ聴く」というのが、わたしのコミュニケーションスタイルの基本になりました。
女性としては、それは珍しいことらしい、というのも、大人になってからわかりました。
耳の聴こえない妹とのやりとりでは、言葉ではない部分でいろいろと察する必要があり、そのあたりのことも、傾聴活動に役立っている気もしています。
さて。
3月に、札幌地下歩行空間での傾聴サロンがありました。
その日は、家が全焼してしまった方、福島から避難してきたけれどもう帰らねばならない方、今しがた退職してきた方、まだお若いのにパートナーに先立たれてばかりの方という4人の方の傾聴をしました。
その中で、受け止めがいちばん難しく、いちばん負担が大きかったのは、今しがた退職してきたという、知的障害のある方でした。
30分ぐらいの傾聴なのに、終わってからシクシクと胃が痛くなったのを覚えています。
その方の「嫌な上司に言いたかったこと」を聴いているとき、どうにも、わたしの反応を試しているかのように、
「ババア」
「死ねばいいのに」
という言葉を繰り返されたのです。
これをどう受け止めたらいいのか…?と迷いつつ、続きをとにかく聴こうと黙っていると、
「何この間(ま)?」
と言われたりもしました。
暴言は、わたしが言われているのではないはずだけれど、この人が今まで見下されてきた分、どこかに仕返ししたいというような気持ちを、わたしにぶつけられているのかなぁ…と感じるようなやり取りでした。
傾聴活動にはこういうこともあるのか、と、修行しているような気分になりました。
自分の中にある、弱い部分が反応してしまったり、自然なふるまいを抑えてしまったりもするのかもしれません。
相手が(わたしの妹と同じように)障害を持っているからというところで、思いやり過ぎてしまう、遠慮をしてしまうというのも、自分の課題だなと感じました。
その後、グループホームで、高齢の認知症の方々の傾聴を多く経験させていただきました。
自分から話そうとしない人たちに、好きなものをきいたり、昔のことをきいたり、天気の話をしたり、窓から見える景色や季節の話をしたり、家族や故郷のことなどいろんな質問をしてゆき、相手の表情が動く瞬間を見逃さないようにしつつ、笑顔で接する。
時には全く意味のわからないことや、あり得ないことを言われる。
どう応えたらいいのかわからないけれど、話をなんとか続けなくてはと、顔には出さないようにしていても、緊張してばかりで、終わった後ひどくぐったりしていたときもありました。
夏ごろ、ある施設の傾聴勉強会に参加しました。
そこで先輩ボランティアさんが
「会話が弾まないときや、ご本人の気が向いていないときにはどうしたらよいでしょうか」
という質問に対し、
「ただその方とそこに一緒に居られることに感謝するようにしている」
という回答をされました。
そのことにわたしはとても感動して、自分もそのように思えるようになりたいと思いました。
さらに、毎月の学習会での講義などからも、ふるまいや心構えについてのヒントをたくさんいただき、「上手に傾聴しよう」というよりも「相手と一緒にくつろげる場をつくることを大事にしよう」と考えるようになりました。
そして、夏の傾聴サロンの時には、ずいぶんリラックスして話を聴けるようになっていました。
グループホームの傾聴では、ドラマのような波乱万丈な人生や、暴力団や桁の違う額のお金などが登場して、どこまでが本当かわからないようなお話を聞くこともあります。
中には、自分の配偶者の名前を忘れてしまわれたり、配偶者がどういう人だったか忘れてしまわれたり、そのことについて自分自身でショックを受けているようなご様子のこともあって、果たしてこの傾聴活動はプラスになっているのだろうか、と思う日もあります。
それでも、最後に「ありがとう」と言ってくださる方がたくさんいらっしゃり、そのことに救われつつ、継続できているのだと思います。
自分よりもずいぶん先、自分と違う時代を生きてきてくださった方々の、さまざまな心模様を傾聴することによって、まるで、いろいろな小説を読むように、自分の引き出しを増やし、新しい気づきをいただけることは、大変ありがたいことです。
考えてみれば、自分と同じ人間など誰一人としていないのですから、経験したことがちがうのは当たり前、たとえ同じものを見たとしても、感じることも一人一人がちがうのですね。
年上でも年下でも、自分とは別の人格の、経験したこと、感じたことを聴かせていただけることは、とてもありがたいことです。
そして、傾聴ボランティアが関わったことで、少しでも相手の方の何かが楽になったり、活力になったりすることがあれば、この上ない喜びです。
今後も、傾聴活動を通して学んだことを、仕事や私生活で活かしつつ、良いコミュニケーションの環をつくり、増やし、拡げていきたいです。