自分の書いた「編集後記」を眺めて思うこと
みかこです。
先日出てきた大学のギター部定期演奏会パンフレットを何気なく眺めていたところ、自分の書いた編集後記を読んで「へ〜」と思ったので、アーカイブしておきます。
人間て、一度気づいたはずのことも、しばらくすると忘れてしまうんでしょうか。
このあとも何度か、音楽がらみのことで悩んでいる。
そういう自分を俯瞰してみると、もしかしたら、音楽と全身全霊で向き合って、必死でやり尽くしても、どこか、自分の理想の通りには上手になれない気がしていて、無自覚に、向き合いたくない言い訳をあれこれ考えているだけなのかもしれません。
そういうわけじゃないなら、いいなと思ったり、大事だなと思ったことは、書き留めたりして、折に触れ、何度も、読み返すといいんだと思う。
特に、何かに行き詰まった時にね。
そういうノートを作っておくと、いいかもしれない。
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私には、3つ年下の妹がいる。
その妹は、音というものを知らない。
妹が音を知らないのは、彼女が生まれる前、
まだ母の胎内にいる時に私が母に風疹をうつし、
それによって聴覚を失ってしまったからだ。
昔、私は部屋でよくピアノを弾いていた。
いつからか妹が、頻繁に私の部屋に遊びに来るようになった。
私がピアノを弾いていると、
妹は傍に来て、無造作に鍵盤を叩いた後、
蓋を閉めようとする。
「妹には、私が弾いている曲も、歌も、言葉も、
わからないんだ。」
そんなことを思ってから、私は妹の前で楽器に触ることが怖くなった。
奪ったものの大きさを思うと、自分がそこに存在することに耐えられなくなる。
そして、自分が音楽をやる意味が見えなくなるからだ。
最近、ある人とたくさん話す機会があった。
その人に私は、思っていたことのほとんどを話した。
部のことや、妹のことや、音楽をどう受け止めていいのかわからないということも。
その人とはそれまでほとんど話したことがなかった。
唐突にそんな話をされて驚いただろうけど、
それでも真摯に私の話を聞いて、答えてくれた。
話していくうちに、私の中である考えがまとまってきた。
『音楽は、媒体で、人に気持ちを伝える道具の一つだ。
自分は確かに妹から音を奪ったかもしれない。
その事実と向き合うのは辛いかもしれない。
でも私はこの部に入っていて、責任があって、
やるべきことなのだから、それから逃げてはいけない。』
そこで初めて、私は部の方を向いたのかもしれない。
去年まで、練習にろくに来なかったことごめんなさい。
去年まではいろんな意味でいっぱいいっぱいだった。
だけど正直言って、この部活に対してあまり魅力を感じなかったというのもある。
でも、重要なのは周りが変わってくれるのを望むことではなくて、
自分が変わることなんだとわかった。
パンフやチケットを作るって決めたのは、自分がこの部にいた意味を
見つけたかったからかもしれない。
この短い間にいっぱい学んだ。
知識、技術的なことも勿論だけど、人と関わっていくこととかそういうのを
すごく学んだ気がする。
ちょっと遅かったけど、この部が好きになった。
私の長い話を聞いてくれた人、ありがとう。
あなたがいなかったらきっと頑張れなかった。
コンサートマスター、お疲れさま。
努力は必ず実になるということをあなたに教えられました。
今日はいい演奏会になるといいね。
いや、なるはずです。
それから、私のギターへ、これからもよろしく。
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ギター、もう弾いてないねえ。。。
今はこういう調子の文章は書かなくなっています。
なんか、わざわざ、ドラマっぽくしなくても、ふつうに精一杯生きていれば、みんなじゅうぶんドラマみたいだと思った、という感じかな。
こういう感じの方が、最初のウケは良いんだと思うんだけど、こういうのが続くと、淡々としている方がいいなって気がつく。
わざわざ目立とうとしなくても良いし、結果的に目立ってしまっても良いし、それが自分の形ならなんでも良いかな、と今は思っていて、それを好きと言ってくれる人がいることに、ただただ、感謝しております。
この頃みたいに、できなかった言い訳、やらなかった言い訳は全然しなくなったんだけど、本当のことを言いすぎて、たまにかなり相手の気分を害してしまいます。
若い子で、明らかに寝坊しただけなのに「具合が悪くて・・・」とウソつく子もいるんだけど、それは、騙されたフリをしておいています。
言い訳も、ちょっとしたウソも、適度にした方が良いみたいだ、と学んで、わたしもだんだんニンゲンになってきたなぁ、というところでしょうか。
「重要なのは、自分が変わること」