私とあなた、間に音楽
みかこです。
「心友」と思っている人がいます。
私のいろんなところをそのまま受け止めてくれて、いいと思ったところは褒めてくれる。(こう書いてみると、コーチみたいだなぁ。)
その人といると、なんだかとても安心して、自分らしくいられるのです。
その人が、石川コーチの新著にちょっと出てきていて、笑いました。
心友は「出版したい」という石川コーチの相談を受けていました。
「コーチングって何ですか?」
・・・コーチやってるっていう人に言いますかそれ
と、読者の誰もが思ったかはわかりませんが、思ったよ私は。
心友は、そういうようなことを、悪気もなくぺらっと言うところがある。
ほんとはとっても寛容で素敵な人なんだけど、よく誤解されています。
私にもそういうところが少なからずある。
「言わぬが花」なところ、衝動が勝って、つい言ってしまう。
気をつけていないと、相手のプライドとか性格とか価値観とか気にしないでモノを言ってしまう。
お互いの弱点を理解できるから、仲良くできるのかもしれないです。
うちの夫にもちょっと似てる。
去年の今ごろ、「わたしにはまだ札幌にいて、いろいろやりたいことがある。でも夫が転勤になったらまたそれを捨てて、ついていかなければならないんだろうか。」というような話もしました。
「どうしましょうかねぇ」
と言うだけで、特に助けようとするでも心配するでもなかったけど、そのとき心友は、ある方の活動をまとめた本を作っていました。
「札幌で、驚くような人生の転機を見つけたり、
まったく新しい仕事にたどり着く人がたくさんいます。
いまそんな人たちの本を作っています。
札幌は、みんなが思っている以上にいろんな可能性がある街なんですよね」
それは本当にそうだと思いました。
ついて行きなさいとも言わず、私が決めていいのだと伝えてくれようとしたのかな。
それから、いろんなご縁があって、夫ともいろいろ話をして、なんとか一人で札幌に住めなくもない感じになってきました。
何年か前、心友とわたしが所属しているオーケストラで、「この人たちにわたしはとっても嫌われている」と感じる人が何人かいたころ、つらくなって行くのが嫌になったことがありました。
「行きたくないんです」
というわたしに心友は「まあそう言わず、来てくださいよ」と言いました。
中学生時代、いじめられて不登校になったとき、わたしの家まで来てくれた子がいました。
一緒のグループにはいなかったけど、なぜかわたしのことを気にかけてくれていて、学校に来ようよ、一緒に勉強しようよ、と言ってくれました。
でもわたしは「もう行かないって決めたから」と言って、数ヶ月後に別の中学へ転校しました。
その子の顔はもうずっと見ていないのに、なんだか忘れられないのです。
心友に「まあそう言わず、来てくださいよ」と言われたとき、その子のことを思い出しました。
それで、今度はあの時とはちがう選択をしよう、この人がいてくれることを大切にしてみよう、と思いました。
それから、心友がいてくれるということを足掛かりに、できるだけいろんな人と良い関係をつくること、良い関係の人を増やそうといろいろ動いてみるうち、全然つらくなくなりました。
憧れのおねえさんのおうちに遊びに行ったり、父親のように思う人に人生相談をしたり、団長の想いをいろいろと聴いてみたり、障がいを持つお子さんがいる仲間と話をしたり、などなど、オーケストラの仲間たちと関係がいろいろとできていくうち、一部の人に嫌われていたとしても、ここで音楽をやりたいなぁ、と思うようになりました。
心友は、悩みのタネだった人についても、こんなことを言ってくれました。
「今日の新聞だったか、『私とあなた』の二者の共感を大切にすべきと書いてありました。その人とみかこさんの間には音楽がある。間にあるものを大事にしたら、少しずつ距離が縮まるのかもしれない。」
私とあなた、間に音楽。
とても大切なことばをたくさんいただきました。