まるぽて

みかこのなんでも書くブログ

同じことにも傷つく人と傷つかない人がいる

みかこです。

 

文通をしています。

 

数人ですが、文通文化につきあってくれる人たちがいて、わたしはとても嬉しい。

 

今日は、年賀状のやり取りだけになっていた友人から、珍しく手紙が来ました。

手紙からは、なんか、悲しいオーラが出てたので、わたしはちょっと身構えて開封しました。

 

すると。

 

埼玉に住んでいるはずの彼女からの手紙は、札幌で書かれていました。

 

わたし、このあいだのiPhoneの不具合対策で、この1週間ほど、普段使うアプリをのぞいてあらゆる通知をオフにしていました。

その間に、彼女からは「今度の土日、札幌に行くんだけどタイミングが合ったら会えないか」というLINEが入っていたようです。

(わたし、LINE滅多に使わないんだよね・・・)

 

それで、メッセージに気づかず、土日になっても何も反応しなかったものだから、「LINEを切られたのだ」と思って、彼女は、謝罪の手紙を書いてきていたのでした。

わたしの送った手紙に対して、自分がずいぶん長く返事を書かなかったもので、切られても仕方がないと思う、と書かれていました。

 

いやいやいや、ただ、気づいていないだけだから・・・汗

しかももう、土日過ぎてるし・・・汗

 

即レスの時代というのは、うかつな人(わたしのような)に優しくなくて、なんだか寂しいのであります。

前はもっと、電話をかけることのハードルが低かった気がしますが、最近は、滅多にかかってこないですね。電話なら、通じたんだけどな〜。

 

そんな感じで、こちらは何も悪気がないのに、知らぬ間に人が勝手に落ち込んでしまうことも、たまにあります。

 

 

逆を考えてみると。

誰かが、なんの悪意もなく、自分がひどく落ち込むようなことを言ってくることもあるかもしれません。

でもそれは、単に、相手との論点がずれているだけだったり、相手の言葉を別の意味で解釈したら傷つくようなことでもなかったり、言われる自分の側にやたら傷があるだけだったりします。

そこで激しく怒ってしまうと、相手との間に埋めづらい溝ができることがある。

距離を置かれてしまったり、面倒くさがられたり、あんまりいいことがありません。

3年ぐらい前のわたしは、そういうことを多々やっていました。

 

でも、一昨年かなぁ、ひとり忘年会をしながら

 

「なんか自分って、

 トラウマがいろいろあって地雷が多くって、

 他の人からしたら、

 すんごい面倒くさい奴だよなぁ〜〜」

 

と思ったんですよね。

 

それから、自分の心をちゃんと整えたいなぁと思って、色々勉強してきました。

 

そうしたら、少しずつ波はありながらも変わっていって、気がつくと、以前とは別人のように落ち着いていられるようになりました。

3年前のわたしは、今みたいに、ちょっとのことでは波立たない自分というのを、まったく想像できなかったです。

 

自分のトラウマは、目の前の相手には、なんの関係もないことです。

「これ言わないでね」「あれ言わないでね」などといろんな条件を守ってもらうのや、「わたしにはこういう事情があるのに、そんなことを言うなんてひどい!」みたいなことばっかり言ってるのって、なんか変だし、自分がごく普通の言葉に傷つかないようになればいいだけだと考えて、わたしはまず自分を直そう(治そう)と思いました。

 

直すのにとても助けになった記憶があるのは、伊藤絵美さんの認知行動療法の本や、スキーマ療法の本白川美也子先生のトラウマケアの本など。

コーチング期間中は、たびたびコーチにも相談したりしました。

 

発信者と受け手のどちらがいいとか悪いとかはおいといて、そこにあんまりうまくいっていないコミュニケーションがあることは事実で、どうにかできるところからどうにかしていく、というのをやっていくと、状況も変わっていくと思います。

 

 

わたしはどうしても仲良くしたい人のことは何年かかっても諦めないです。

解決しない中でも、いろんな人と出会い、新しいつながりができて、そこでまた問題に関連することを学ぶことがあったり、支えてくれている人とよりいっそう仲良くなったりして、試練もまた恵みだと思ったりもします。

 

 

冒頭の話に戻りますが、手紙だと、文字の様子などから、何かが伝わるんですよね。

だから、わたしは悲しいオーラを感じとって、それに対して覚悟ができた。

そんなわけで、ここぞという気持ちを伝えたいときは、メールよりも手紙がいいのかなぁ、と思ったりもします。

 

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季節に合わせた便箋とか選ぶのも楽しい