ものごころつく前のことが今の自分にも映しだされている
みかこです。
食べるのと寝るのが好きです。
・・・みんなそうか。
でも安産には、ごろごろしない、ぱくぱくしない、びくびくしない、というのが大事だそうですよ。
読みながら、なんども涙が出てしょうがない岡野眞規代さんの本「メクルメクいのちの秘密 ピカピカの赤ちゃんが教えてくれた」に書いてありました。
「子どもがほしい」という人はぜひ一度読んでいただきたい本です。
わたしは今のところ予定がないのですが、「自然のしくみの大切さ」を訴えられているところに、とても共感しています。
岡野さんの勤めていた大阪の病院は、もしかしたらわたしの生まれた病院かもしれないし、妹の生まれた病院かもしれないな、なんて思って、自分や妹や母のことを、この本に出てくる赤ちゃんやその母親と重ねて読んで行くと、なんだか泣けて仕方がないわけです。
そういう体と心の反応というのはあるわけで、「過去は存在しない」と言ってみても、ヒトの体はそのようにはつくられていないんだと思うのです。
わたしの人生は、障害者だった(すでに他界した)妹に大きな影響を受けています。
それがなかったらいま、何をしているんだろう?
と、ちょっと考えてみました。
それには、妹が生まれる前の自分を思い出すしかないんですが。
妹がいなかったころのわたし(0〜3歳1ヶ月)が興味を持っていたかもしれないことは、そのころの写真を見る限り、音楽と、絵本と、図鑑と、「暮らしの手帖」です。
父が持っていたギターを鳴らして笑っている写真。
「暮らしの手帖」を見ながら笑っている写真。
百冊以上の薄い絵本や図鑑を読んだ記憶。
まあ、それだけでも、幅広すぎるかもしれないですね。
いまのわたしがいろいろやっている、やりたいのは、そんな小さな頃から、いろいろ与えられていたかもしれません。
音楽をやっているのも、絵を描くのも、文章を書くのも、お話をつくるのも、理科に興味があるのも、そんなときに種が植わったからなのかもしれません。
かろうじて、「いま」取り組むことの順番はつけられるけど、やり方をどれか一つにしぼるというのは、やっぱりやれなさそうです。
とりあえず、このままやっていってみようと思います。