まるぽて

みかこのなんでも書くブログ

凍結胚の廃棄

みかこです。

 

きょう、不妊治療をやめることにしました。

 

凍結胚を廃棄することにしたのです。

2年間、葛藤のなか保管していましたが、

きょうやめることに決めました。

 

2年と少し前、検査の結果、顕微受精のほかは

ほぼ望みがないことがわかり、

ART(生殖補助医療)の説明会に行きました。

 

どのように成されるものなのかを一通り知り、

痛いのを耐えるのは得意なほうなので

そのときは「ただ淡々とやれば良い」と考えていました。

 

ホルモン剤を飲んだり自己注射したりして

卵巣へ注射器を刺して卵子を吸い出して

6個くらい取れました。

麻酔しないでやったらかなり痛かったです。

そのうち3つが胚になりました。

 

でもわたしの子どもがほしい理由は

「子どもがほしいから」

ではありませんでした。

 

「子どもでも産んだら不安定な自分が落ち着くんじゃないか」

とか

「子どもを産んだら子宮の不具合がリセットできるんじゃないか」

とか

子どもそのものを望んでいるのとは違いました。

 

そのころ、子宮のポリープを取ったり

耳の腫瘍を取ったりもしていて

生きることや人生についてあれこれと

考えるようになりました。

 

結果、

やっぱりこのまま進めてはいけないように

思ったんです。

 

それで、そのうちもしかしたら

「子どもがほしい」と心から思う日がくるかもしれないし、

そのときまで保留にしようと。

 

そして、保留にしているあいだに、

自分の気持ちに蓋をして無理をしていたこと、

ほんとうは、いのちのことは

自然な形であってほしいと思っていることなど

いろんなことに気がついていきました。

 

子どもはすごくほしいわけではないけれども

いてもいいと思う。

でもそれを「操作」したくない。

 

保管の更新期限がきたので、決めることにしました。

 

決めると

今までのいろんなことが思い出されました。

 

人生のままならなさ

そんなに多くを求めたわけではないのに

あたえられなかったこと

手に入らなかったもの

喪ったもの

 

ふつうのおうち

ふつうのくらし

ふつうに親になること

 

なぜ?と問うと

くやしくてくるしくてかなしい

 

涙が出るばかり

 

 

オーケストラの練習に行けば

「音楽をしているあいだは、かなしいこと、つらいことも忘れて楽しいでしょう」

というヴァイオリンの先生のことばのようになれるかなと

行ってみましたが、「結婚行進曲」を弾いたところでまた思い出してしまい、弾きながら涙がこぼれてしまいました。

 

「泣いてもいいから仕事して」と他人に言うタイプなもので、自分も泣いてもいいから演奏しよう、とそのまま最後までいました。

 

オケの仲間にも離婚した人もいるし

いろんな家庭があって

この曲をどんな気持ちで弾いてるんだろうと

そんなことも思ったら余計に泣けてきました。

 

帰り道は

すっかり暗いのと大きな楽器があって

顔がみえにくいのをいいことに

ぼろぼろ涙がこぼれるままにして帰りました。

 

家について、夫とやりとりしていたら

感情の蓋が取れたように

久しぶりにしゃくりあげながら泣きました。

 

 

いのちにしてあげられなくてごめんなさい。