アレクサンダーテクニーク体験記
みかこです。
2014年3月、アレクサンダーテクニークセミナーin札幌に参加しました。
東京で少し流行り出していて、知り合いのヴァイオリン弾きがそれを仕事にしたりもしていて、一度受けてみたいなぁと思っていたけど、東京の講座はとても高くて、そこまでお金を払う気持ちになれないでいました。
でも札幌のセミナーは場所のせいなのかとても安かったのです(笑)
あけぼのアートコミュニティセンターでのセミナー受講レポートです。
身体の使い方も教わりましたが、全体としては、心の話が9割であり、持ち帰るべきものは、感覚ではなく、「自分に語りかけるべき言葉」で、それは今後も自分で工夫して磨いて行く、ということでした。
「失敗したらどうしよう」
「アンブシュアがあかん」
「息が、スタミナがもたん」
という「考え」は、バジル氏曰く「要らんこと」なのですが、こういう種類の言葉がアタマからなかなか消えない人も多いです。
音楽的な表現をするために、こう演奏したい(このフレーズを一息で吹きたい)、というよりは、自分のできないこと(息を長く続けることができない)を「克服」するために練習する、というアプローチの人がいる。
そうではなくて、「本当にやりたいこと」(こういうイメージで演奏したい、この音楽を伝えたい)に集中しましょうと。
口の当たる位置を真ん中より右や左に変えられた人の何人かは、「もともとの吹き方が、口の真ん中からずれていたので真ん中に来るようにしていた」と仰っていたのですが、バジル氏はその「もともと」のほうに近く直されていて、結果として本人がラクになり音が良くなったりしていました。
身体のつくりは人それぞれ。
全員違うものなので、同じ動きをやって解決できる人もできない人もいます。
それができないのを「自分がダメだから」とか、「努力が足りないから」とかいう方向に考え、結果として身体や心に不要な負担をかけ、壊してしまうというケースがあります。そういうことを強要する先輩や指導者もいます。
参加者の一人で、良い演奏をして、聴いた人も「なにがダメなのかわからない」という顔をしているのに、本人が納得されていないケースがありました。
その方にバジルさんは、「聴衆を見てください」という指導をされました。
「良い反応を素直に受け取ること」に慣れていなかったご本人は、皆の顔を見渡したところで、涙があふれて止まらなくなってしまいました。
自分に対して自分で否定する言葉を投げつけ続けてきて、それが当たり前で、慣れた環境ということなのでしょう。
それと違う体験は、慣れないもの、受け入れにくいもの、認めたくないもの。
そして、本番の失敗も「あってはならないこと」として深く根付いているため、周りが褒めてくれても、少しのミスで緊張したり、すべてを否定的に記憶してしまっている。
自分の本当の問題に直面させられたので、涙が出てしまったんじゃないかと思います。
失敗しても、とにかく音楽のこと、曲のことに気持ちを向けて演奏している人は、聴いてる方も、「良かった」と受け入れられることが多い。
「ミスしたらいけない」と考え、緊張している人の演奏は、ミスしてしまったときに、聴いてる方も居づらくなる。
音楽は「非日常」なので、平常心でやる方がおかしいのです。
ドキドキしたり、汗が出たり、いろんな身体反応がでますが、それをどうとらえるか。
私の場合は、どんな場面でも「失敗してはいけない」という気持ちがついてまわり、緊張に繋がっていました。
レッスンでも緊張してうまくいかなくなる。
「レッスンというのは本来、失敗してもいい場面であって、「うまくいくためにどうするか」のヒントをもらうもの。そこで間違えることを否定するような指導者は淘汰されるべき」
そうバジルさんは仰っていました。
私はそんなに怖い先生に会ったことないけど…と思っていましたが、小学校のオケの先生や、ピアノの先生はそうだったかもしれない。
特に、ピアノで繰り返し注意され、直そうとした音形は、「嫌な記憶」として頭に残っていました。
コントラバスやヴァイオリンでそれと同じ音形を辿るのも「なぜだかわからないけど嫌い」でした。
でも、その記憶をちゃんと思い出して、切り分けて、記憶し直すことができて、今は「嫌い」ではなくなりました。
バジルさんから私へのアドバイスは「胸襟を開く」ということと、譜面台と体の関係。
どこか「構えて」いて、「よい生徒」として無理をしつつそこにいる感じだったのかもしれません。
もっと開けっぴろげで、できない気がすることは「がんばります」ではなく「できない」と言ってみるなど、本音でぶつからないと、本当には上達できないかも、というのもあるかもしれません。
アレクサンダーテクニーク、ちょっとかじっただけではありますが、私たちは日頃、とても多くの「余計な」「マイナスの」暗示にかかっている。
そのことに気がつき、その後もいろんな出会いに恵まれ、私の演奏は随分「ラク」なものになりました。
この記録が、どなたかの何かの参考になれば幸いです。